仕事・ビジネス




お金の扱い方は知っていても、

人間の扱い方を知らない経営者が、

仕事のやり方は知っていても、

自分のやり方を知らない従業員を雇っている。

それが二十世紀だった。

さて二十一世紀は?





経営者とは、

スコアボードをにらみつつゲームの行方を追う

スポーツチームの監督ではなく、

観客にどんな感動をもたらすかを考慮しつつドラマの行方を追う

演出家のようなものである。






競争は一人の勝者と九十九人の敗者を作り、

同時に百人分の疲労も作る。






競争による順位づけや成績評価は、

物事の真の意味や目的に気づかない管理者が、

他の方法を知らないために仕方なくとる次善の措置である。







問題は仕事が創造的かどうかではない。

それをやる人間が創造的かどうかだ。






「マニュアル人間」とは、マニュアル通りにやる人間ではなく、

マニュアル通りにしかできない人間のことを言う。

よいマニュアルは快く人を導くが、

マニュアル人間は人の気分を悪くする。







よくできたマニュアルは哲学書に等しい。

それを読むことで、人はうまく導かれたと感じる。

哲学の見えないマニュアルは出来が悪い。

マニュアルに一番必要でありながら、

今までほとんど書かれなかったもの、

それは「なぜ」である。


「なぜ」が書かれていないマニュアルは出来が悪い。

それはうまく人を導かない。

そのようなマニュアルによって「マニュアル人間」が生み出される。

「なぜ」が書かれていない哲学書もまた出来が悪い。







出来上がりの料理の味を知らなければ、

料理のレシピを書くことはできない。

料理を作っている間、料理人はすでにその料理を味わっている。






車を運転したことのない人間は、

車の動きを外側から見ることはできても、

車とハンドルの動きがどのように連動しているかを知ることはない。






リスクを明らかにすることは、

リスク管理のスタートではあってもゴールではない。






管理職の仕事とは、

あらゆる従業員が24時間100%自分自身でいることを

手助けすることにある。






会議を実り多いものとする唯一最大の秘訣は、

話しにくいことも話題にすることである。






名演奏家であるより、名器である方が難しい。

未熟な演奏家ほど、楽器ではなく、自分が主役だと思い込んでいる。






小出監督が褒め上手なのではなく、高橋選手が褒められ上手なのだ。





仕事には快楽を。

いちばん楽しんだ人間が、いちばん大きなご褒美をもらえる。






人は「何」をやっているかで評価されるのではなく、

「どう」やっているかで評価される。






自分の人生は自分が主役だと心底思えるなら、

人は「黒子」に徹することができる。