あしたのために(その四) 
        =それでも書けない人のためのリハビリテーション=



−目次−

■私家版『枕草子』を書く

■課題に対して短文を書いてみる

■動詞から発想する

■あなたが今までに手に入れたもの

■物との出会いを楽しむ

■本との出会いを楽しむ

■自分とデートする

■旅こそ究極の自分遊び

■自分以外のものに対する「感応性」を高める

■あなたにとって誰が重要人物か

■遺書を書く

■その他のリハビリ・メニュー

 そういう人はまずいないと思うが、「心のパスワード」も思い当たらない、クライマックスの瞬間も記憶にない、これだけは人に負けない、自慢できるという取り柄も趣味もなく、ディテールを描けと言われても一行も文章が浮かんでこない、つまり「どう書くか」の前に「何を書くか」がわからないという人がいたら、それはロボコップのように重いコントロールの鎧をつけていて、鎧に負けない筋力をつけるべきか、鎧を脱ぐべきか迷っているのだろう。そういう人には、呼吸を楽にし、本来誰にでも備わっている能力を回復するためのリハビリテーションが必要だ。

 ここでは、そうしたリハビリのためのアイデアを思いつく限り挙げてみよう。

 

■私家版『枕草子』を書く

 古文の教科書でもおなじみの『枕草子』を見てみると、作者の清少納言が「こんなものが私は好き」とか「こんなものは可愛いと思う」とか「こんなものは興ざめだ」といったように、個人的な趣味、美意識のようなものをつらつらと書いていることがわかる。これでも文学になり得るわけだ。また、ジャズのスタンダードナンバーに『マイ・フェーヴァリット・シングズ(私のお気に入りたち)』というのがあるが、これも自分の好きなものたちをただ並べて詞にしている。こんな発想から文章を書くことを始めてみるのもいい。

●『枕草子』(清少納言・作)から

<一段 春は曙>

 春は明け方がいい。だんだんと白くなってゆく山ぎわの空が、少し明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいている様がいい。

 夏は夜がいい。月の出るころは格別だ。闇夜のころでもやはり、蛍がたくさん飛び交っているのは面白い。また、一匹か二匹が、ほんのり光って飛んでゆくのもいい。こんな夜は雨が降るのさえ好ましく感じる。

 秋は夕暮れがいい。夕日が赤くさして、山の峰にとても近くなっているところに、カラスがねぐらへ行こうとして、三羽四羽、二羽三羽と急いで飛んでゆくのさえ、しみじみとさせる。まして雁なんかの列をなしたのが遥かに小さく見える様は、実に面白い。日が入りきってしまって、風の音や虫の声などが聞こえるのもまた、たまらなくいい。

 冬は早朝がいい。雪が降っていればなおさらいい。霜がとても白くおりているか、あるいはそうでなくてもひどく寒い朝に、女房が急いで火をおこして、炭を持って廊下を通ってゆく様も、冬の朝らしくていい。昼になって、なま暖かく、寒さがだんだんゆるんでいくと、丸火鉢の火も、白い灰になってしまって、興ざめしてしまう。

<四十段 あてなるもの>

 上品なもの。薄紫色の下着の上に、白がさねのかざみ(貴族の少女の上着)を重ねて着ている姿。アヒルの卵。削った氷の中にあまづら(甘味菓子の一種)を入れて、新しい金属製の椀に入れたの。水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪が降りかかっている様子。とても可愛い幼児がイチゴなどを食べている姿。

<一四六段 うつくしきもの>

 可愛らしいもの。ウリに描いた幼児の顔。雀の子が、ちゅうちゅうと鼠の鳴きまねをして呼ぶと、ぴょんぴょんと踊るようにして寄ってくる様。二、三歳ぐらいの幼児が、急いではってくる途中で、小さなちりがあったのを目ざとく見つけて、可愛らしい指でつまんで、大人などに見せた姿は、とても可愛らしい。髪を尼さんのように肩で切りそろえた幼児が、目に髪の毛が覆いかぶさってくるのを、払いのけもしないで、ちょっと首をかしげて、何かを見ているのも可愛らしい。...(以下省略)

 

●MY FAVORITE THINGS     私のお気に入りたち

Raindrops on roses               バラの花に降る雨

And whiskers on kittens             子ネコのヒゲ

Bright copper kettles              明るい銅のケトル

And warm woolen mittens             暖かいウールのミトン

Brown paper packages              きれいなリボンで結ばれた

Tied up with strings              茶色い紙の包み

These are a few of my favorite things      どれも私のお気に入り

 

Cream colored ponies              クリーム色のポニー

And crisp apple strudels            サクサクのアップルパイ

Doorbells and sleighbells            ドアの呼び鈴とソリの鈴

And schnitzel with noodles           ヌードルを添えた仔牛のカツ

Wild geese that fly               翼に月を抱いて飛ぶ

With the moon on their wings          野性の雁

These are a few of my favorite things      どれも私のお気に入り

 

Girls in white dresses             青いサテンの飾帯がついた

With blue satin sashes             白いドレスの少女

Snowflakes that stay              私の鼻とまつ毛に

On my nose and eyelashes            舞い落ちる雪

Silver white winters              春の温もりに溶けてゆく

That melt into springs             白銀の冬景色

These are a few of my favorite things      どれも私のお気に入り

 

When the dog bites               犬に咬まれたとき

When the bee stings               蜂に刺されたとき

When I'm feeling sad              悲しい気分になったとき

I simply remember my favorite things      お気に入りのものだけを思い出す

And then I don't feel so bad          そうすれば落ち込まないですむ

 

作詞:オスカー・ハマースタインU世

作曲:リチャード・ロジャース

 

 作文の講座で受講者にただひたすら書いてもらうことがあるが、そんなときウォーミングアップの意味で、「私は〜です」「私は〜が好き」「私は〜が嫌い」「私は〜になりたい」など、「私は、」で始まる短いセンテンスを思いつく限りたくさん挙げてもらうことがある。最初のうちは「私は男(女)です」「私は二十歳です」「私は○○大学の学生です」「私は音楽が好きだ」など、社会的アイデンティティを確認したり、簡単な自己紹介を試みたりという領域にとどまっているが、そのうち徐々に実存の深みへと櫂を差し、舟を漕ぎだそうとする者もあらわれる。たとえば「私はザザ虫だ」とか「私は二八〇円だ」とか、まるでシュールレアリズムか何かの小説の出だしのようなものまで登場する。

 あなたもウォーミングアップのつもりで、あるいは清少納言や作詞家になったつもりで「私は、」で始まる短い文章を書いてみてはいかがだろう。二〇個三〇個と書いていくうちに、「心のパスワード」に出くわすかもしれない。そうしたら迷わず、よそ見をせずそれに食らいつき、心を開き、そこからディテールへと飛躍してみよう。

 

■課題に対して短文を書いてみる

 書くためのウォーミングアップをもう少しご紹介しよう。以下に示すのも作文のクラスで初期の段階に軽い肩ならしとして書いてもらうテーマだ。字数は二〇〇字前後を目安としている。

○ 人に読ませたい本を一冊選び、その本の帯に載せる推薦文を書いてください。

○ あなたにとって人生とは何にたとえられますか? 「人生とは〜のようなもの」

○ とっておきの笑い話をひとつ披露してください。

○ あることの仕方、あるものの使い方、作り方(材料、道具、手順、コツ)を教えてください。

○ お気に入りの写真を一枚アルバムから抜き取り、それについて語ってください。

 

■動詞から発想する

 あなたは何をしているときが一番生き生きし、光輝き、幸福で、充実していると感じるだろうか。あなたが日常行っている動作を、思いつく限り、無作為に、なるべくたくさん動詞で表現してみよう。たとえば、学ぶ、遊ぶ、歩く、走る、泳ぐ、しゃべる、読む、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、食べる、飲む、作る、眠る、育てる、癒す...。

 あなたのお気に入りの動詞はどれだろう。あなたは何をしている自分が一番生き生きしていると感じるだろうか。ピンとくるものがあったら、その動作をしている自分を想像して、そのことについて何でもいいから書いてみよう。

 

■あなたが今までに手に入れたもの

 今までに、欲しくて欲しくて仕方がなかったもの、やりたくてやりたくて仕方がなかったこと、なりたくてなりたくて仕方がなかったものなどで、すでに手に入れたもの、実現したこと、達成した事柄について考えてみよう。それらを挙げ、次の項目を埋めてみよう。

◎ それを手に入れる、実現する、達成するのにかかった時間

◎ かかったおおよその費用

◎ あなたの満足度(大変満足、満足、やや満足、やや不満、大変不満など)

◎ そのときのあなたの気分

◎ それらの大きさ、重さ、色、形、匂い、感触など
 (それが資格の取得、旅行、何かの体験など、無形物だったら、それを象徴する品物を思い出してみる)

◎ その入手、実現、達成の前、途中、後で、あなたはどう変わったか。

◎ その入手、実現、達成を妨げた、困難にした、遅らせた障害はあったか。何かが欠如していたか。

◎ どのような手段、プロセス、道具、協力者、きっかけ(チャンス)がそれを可能にしたか。あなたはそれらとどのように関わったか。

◎ その入手、実現、達成は、あなたの周りの人たちをどれだけ幸せにし、満足させ、喜ばせたか。あるいは逆に不幸にし、不満を与え、悲しませたか。

 

■物との出会いを楽しむ

 東京で言えば、東急ハンズや西武LOFTなど、あるいはDIYの店、大手のホームセンターやディスカウントショップ、各種の道具や素材などを専門に扱っているデパートなどに行き、すべての売り場を一日歩き回り、あなたに買われたいという無言のメッセージを発しているものを探してみよう。他のものよりひときわ輝いてみえるもの、どうも気になって仕方がないものはないだろうか。見つかったらそれに触れ、あるいは手に取り、それとの一体感を味わい、それとの出会いをまずは楽しんでみる。馴染みのあるなし、それを使う技術のあるなしなどにはとらわれないこと。そして、ピンとくるものがあったら、思い切ってそれを買ってみよう。そして、それとの出会い、それが自分の手元にあることの感覚、それをどう活用するか、それがあなたに与える影響などについて書いてみよう。

 

■本との出会いを楽しむ

 大きな書店に行き、すべてのコーナーを一日歩き回り、あなたに読まれたいという無言のメッセージを発している本を探してみよう。他の本よりひときわ輝いて見えるもの、背表紙の文字が浮き出ているように見える本はないだろうか。見つかったらそれを手に取り、ページをパラパラとめくってみて、それとの出会いをまずは楽しんでみる。テーマに関する興味や内容の面白さ分かりやすさよりも、自分のフィーリングを重視しよう。分野になじみのあるなし、得意不得意、読みやすい読みにくい、役に立つ立たないなどにはとらわれないこと。そして、ピンとくるものがあったら、片っ端から買ってみよう。

 買ってきたら、苦労してすべての本のすべてのページを読む必要はない。書いてあることがどうこうというよりも、それらの本との出会いにより、あなたや周りの世界がどう変わっていくかに心を開いてみよう。そしてその変化について書くのだ。

 

■自分とデートする

 自分とデートしてみよう。自分の恋人に成り替わって、自分をデートに誘うという想定でもかまわない。あるいは自分の中で男役と女役にわかれて対話してみるのもいいだろう。連れて行きたい場所、一緒にしたいこと、見せたいもの、食べさせたいものなど、具体的に書いてみよう。実際にその場所へ行ってみて、どんな感じがするか確かめてみるのもいい。

 

■旅こそ究極の自分遊び

 旅に出てみよう。旅こそ究極の自分遊びだ。旅に出れば、一日二四時間自分と一緒に過ごすことになる。トラブルが起こってもすべて自分の責任であり、対処するのも自分だ。いきおい内省的になる。自分の内側から発せられる声に耳を傾けてみよう。もちろん、実際の旅の行程、見たもの、聞いたことなど、ディテールも記録しておく。旅の準備段階から書き始めるのもいい。計画、携行品のリスト、目的地に関する情報なども書きとめておく。また、旅先で見た夢などをモニターしてみるのもおもしろい。旅の最中には、心がオープンになっていて、アンテナが敏感になっているので、意外な夢を見たりする。

 実際に旅に出なくても、空想の中で旅をするのもいい。そして架空旅行記を書いてみるのだ。芥川龍之介は、主人公が河童の国に旅をするという想定で傑作『河童』を書いた。ルイス・キャロルは、少女を架空の国に迷い込ませることで『不思議の国のアリス』を描いた。フランスの詩人アンリ・ミショーは、架空の国を旅行し、そこに住む人たちの風俗・習慣を記す形で架空旅行記三部作(『グランド・ガラバーニュの旅』『魔法の国にて』『ここ、ポドマ』)を書き上げた。架空旅行記は、洋の東西を問わず文学の一形態なのだ。

 

■自分以外のものに対する「感応性」を高める

 私の知り合いで、五十代の女性なのだが、ある日瞑想中に啓示を受け、気がついてみると、あらゆるものが発するメッセージを手のひらで読み取る能力がそなわっていたという人がいる。仮にAさんとしておくが、彼女によると、人間であろうが他の生物であろうが、あるいは無機物であろうが、あらゆるものが言葉のメッセージを発しているという。彼女の評判を聞きつけ、自閉症の子どもを持つある母親が、子どもの描いた絵を持ってきた。私もその絵を見せてもらったが、クレヨンでなぐり描きしたような感じで、具体的な形が何か読み取れるというわけではなかった。Aさんがその絵の発するメッセージを読み取ってみたところ、次のようなものだったという。

 

 「『静かな湖畔の森の陰から、もう起きちゃいかがとカッコウが鳴く』と歌ってくれるけど、まだ起きたくないんだよな。なぜかというと、前の世界のすばらしい体験に心とらわれて、なかなか抜け出したくないんだ。だってすごく綺麗なお花一面の世界で、何もとらわれず、本当に、本当に、本当に、本当に自由に、のびのびと、楽しく楽しく生きていたんだよ。それなのに、この世界はぎゅうぎゅうぎゅうって音がするぐらい、身体を締め付けられるんだ。お母さんのまわりにあったかい太陽の光が見えて、それはとてもいいんだけど、他の人のまわりにはぜーんぜん光が見えなくてこわいんだ。もっとあの世界みたいにキラキラした光の世界なら、ボク嬉しいんだけど。でもお母さんをあんまり心配させるから起きなくちゃいけないかな。どう思う?」

 「今ね、光のおダンゴ作ってるの。ボクのまわりにボクの遊ぶものがないから、光のおダンゴ作りをしているの。光のおダンゴ作るのって、光の見える人の所へ行って、少しだけわけてもらうんだ。その光を集めておダンゴにするの。そしてさみしいとき、そのおダンゴを持ってると、いろんな人のお話が聞こえてくるんだよ。地球のいろんな体験を話してくれて、すっごくめずらしいお話も聞けるよ。でもこんな遊びもうやめるよ。お母さんを心配させるしね。これより面白い遊びがあるなら、ボクこの世界の子になってもいいよ。お母さん、みつけてくれる?」

 

 Aさんによれば、絵の発するメッセージには、描いた人のそのときの心理が反映されるという。自閉症児は、自己をうまくコントロールすることができず、他人と(母親とでさえ)コミュニケーションをとることがきわめて難しい。しかし、このメッセージを見ていると、コミュニケーションが難しいのは、私たち健常者の方ではないかとさえ思えてくる。

 Aさんは胎児が発するメッセージなども読み取れるそうで、母親のためにできるだけ多くの胎児のメッセージを読み取ってあげたいのだが、自分ひとりでは限界がある。そこで妊婦や若い母親たちを集めてネットワーク活動を始めた。母親自身が子どものメッセージを感じとり、それをもとに絵本を作り、お腹の子どもと対話する。そして生まれてきた子どもが最初に目にする絵本は自分の母親の手作り絵本、その後は親子で一緒に絵本作りをする、というのだ。

 フランスの詩人フランシス・ポンジュは、詩集『物の味方』の中で、雨、篭、蝋燭、牡蛎、火、かたつむり、苔、水、碩石など、様々な物に想いを馳せることによって、言語そのもの、物の手ごたえを持つ言語に、詩人らしい信頼の眼差しを向けている。ル・クレジオは小説『調書』において、主人公に人類最初の男アダムと同じ名を与え、太陽や海、犬やねずみやライオンと同化させ、ものとものとの境界を取り払い、既成の秩序を逆転させてみせた。

 さあ、あなたもAさんや多くの作家たちと同じように、小さな存在に感情移入し、そのものの視点で世界を眺めてみよう。自分の手のひらで溶けてゆくひとひらの雪、山道でひろった一枚の落ち葉、トタン屋根の上で日向ぼっこをしているネコ、スーパーマーケットの前で買い物中の主人を待っている犬など、何でもいい。そのものに語らせてみよう。存在する喜びでもいい、何かを訴える叫びでもいい、グチやボヤキだってかまわない。中身を移し換えた植木鉢のように頭を空っぽにし、あなたを取り巻く状況に同化し、状況の発するメッセージに耳を傾けてみよう。判断不能のときは思い切って判断を停止し、ただ観察すること。自分を意識だけで存在するようにし、無心、無欲になり、体を通り抜けていく風を感じてみよう。

 私はこれを、自分以外のものに対する「感応性」と呼んでいる。これは、ものを書く人間にとって最も大切な資質のひとつである。

 

■あなたにとって誰が重要人物か

 あなたは自分の親とじっくり話し合ってみたことがあるだろうか。おそらくあなたの親の世代は、現在四十代から五十代ぐらいだろうと思う。ちょうど「団塊の世代」と呼ばれた人たちだ。その世代が今のあなたぐらいの年齢だった頃、世界は激しく揺れ動いていた。そのとき彼らにとって、人生は、世界は、どのように映っていたのだろうか。いっぺん膝つき合わせて語りあってみるといい。よくも悪くも、自分の親とはあなたに最も影響を与えた存在なのだから。その存在がどのような人生を歩んできたかを知ることは、自分自身のルーツを知ることでもある。親と語り合うとき、次のようなキーワードを投げかけてみるといい。ベトナム戦争、安保、ヒッピー文化、ビートルズ、憲法、モーレツサラリーマン、などなど。

 親に限らず、あなたに影響を与えた存在は、まだまだたくさんいるはずだ。兄弟、友人、恩師、恋人など。また、人だけではなく、もったいなくて割れなかった貯金箱や、七五三の晴れ着や、新聞で読んだ殺人事件や、実際に体験した大怪我や、引っ越さなければならなかった生家や、珊瑚礁の海で見た夕陽などからも影響を受けているはずだ。それらに想いを馳せてみよう。

 人の顔がなかなか思い浮かばなかったら、次のような観点で名前のリストを作ってみるといい。

  ○ 毎年年賀状を出す人

  ○ 習いごとの発表会やスポーツの試合などに呼びたい人

  ○ あなたが本を出版したとして、読んでもらいたい人

  ○ あなたが自伝を書いたとしたら、必ず登場する人

  ○ 夢によく登場する人

  ○ 自分の結婚披露宴に呼びたい人

 さて、出来上がった自分の交友リストの中から、あなたが大変お世話になり、あなたの人生に大きな影響を与え、あなたの人生で重要な役割を演じ、そしてこれからもそうあり続けるだろうと思える人を特にピックアップしてみよう。そして、その人たちに関し、次の項目を埋めてみよう。

◎ その人と出会った時期(小学校低学年、中学校...など)。

◎ その時期のあなたの生活環境、心や体の状態、考えていたことなど

◎ その時期にその人と出会った意味

◎ その人の性格や特徴(動物にたとえるなら何?)

◎ 肩書き、知識、技術、専門分野、経歴、資格、交友関係など、その人が持っている属性

◎ リーダータイプか、子煩悩か、ムードメーカーか、世話好きか、口癖があるか、「五時から男」かなど、その人が発揮する気質

◎ あなたのことをどう思っているか(想像がつかなかったら、実際に本人に聞いてみる)

◎ その人にしてもらったこと、受け取ったもの、まだ返していない借りなど

◎ あなたに対するその人の興味、期待するところ、してほしがっていること

◎ 最近疎遠になっている、あるいはすでに別れた人なら、その理由(特に相手の立場から)

◎ その人をもう一度自分の人生に引き寄せる方法

◎ その人が現在抱えている問題、悩み、不満

◎ それを解消するためにあなたが手伝えること

◎ その人の繁栄や幸福にあなたが奉仕・貢献する方法

◎ その人に感謝の意をあらわす手段

 さて、何か特別な発見やヒラメキがあっただろうか。あったら、それについて書いてみよう。また、このリストの中から特にひとりを選んで、自分とその人を対話させてみるのもおもしろい。そしてその架空対話録を書いてみよう。

 

■遺書を書く

 高校時代の友人の話である。彼は私よりひとつ年下だったが、同い年(十七歳)のガールフレンドがいた。ところが彼女は、父親の運転する車の助手席に乗っていて事故に逢い、不慮の死を遂げたというのだ。それだけでもショックなのだが、驚いたことに、彼女は遺書を残していたというのだ。彼女は遺書を書くのが趣味だったらしく、毎月書いていたという。彼女が自分の早すぎる突然の死を予期していたのかどうかはわからない。どんな内容の遺書だったのかは彼も知らないらしいが、おそらくは思春期の少女が日記でも書くような感覚で書いていたのではないかと想像できる。しかし、彼女の中で死というものが、遺書を書き残しておきたいと思わせるほどリアリティをもって感じられていたのではないかとも思う。

 遺書を書くという行為は、ものを書く原点ではないかと私は思っている。遺書を書こうとするとき、人は自分がいなくなった後の世界に想いを馳せることになる。これは想像力以外の何ものでもない。そして書くという行為は想像力の成せる業だ。作家の書く文章はすべて遺書ではないかと思うこともある。実際私も、遺書のつもりで何かを書き残そうとしている自分を意識することがある。

 あなたも試しに自分が死んだ後のことを想像しながら遺書を書いてみたらどうだろう。あまり愉快な作業ではないかもしれないが、妙に心が静かで落ちついた気分を味わうのではないかと思う。自分が誰かに宛てた遺書でもいいし、たとえば親や兄弟、親しい友人などがあなたに宛てた遺書という想定でもかまわない。

 ちょっと想像してみよう。あなたは医者から余命数カ月と診断されたとする。心おきなく最期の時を迎えるため、お世話になった人たちに、次のようなことを考えてみてほしい。

  ◎ 感謝の意をあらわす言葉

  ◎ その人に最後にしてあげたいこと

  ◎ 形見分けとして贈りたいもの

 また、あなたからその人たちに最後に贈るメッセージとして、次のような文章を完成させてみよう。

 

「あなたとのおつき合いは・・・でした。本当はもっともっと・・・したかったのです。せめてもの感謝の気持ちとして・・・を贈ります。どうかこれで私の・・・という気持ちを察してください」

 

■その他のリハビリ・メニュー

 書く能力の回復に役立つリハビリのアイデアには、まだまだたくさんある。

  ○ 日記帳や自分史ノートをデザインしてみる。万年日記帳、あるいはシステム手帳のリフィルを自分でデザインするとしたら、どんな項目をどのくらいのスペースをさいて網羅するだろうか。これによって自分のこだわり、興味の範囲などが見えてくる。

  ○ 記録装置をいろいろ持ち歩いてみる。ノートや手帳はもちろん、便箋やテープレコーダー、カメラなど。道具を持ち歩いていれば、当然使いたくなる。人を待っているとき、電車の中で、ふと空いた時間があったら、それらを時間の埋め草として使ってみる。思いついたことをメモしたり、誰かに手紙を書いたり、ふと目に飛び込んできたものを音声や映像で記録してみる。

  ○ 部屋の模様替えをしたり、本棚をマンダラに変えてみる。座右の書・愛読書を棚の中心に移し、そこから放射線状に他の本を配置してみる。

  ○ 左脳(言語)人間から右脳(映像)人間へ自分を変えてみる。論理的思考や言語活動は主に左脳によってコントロールされている。そのコントロールを右脳に移してみよう。絵を描くのもいい。うまく描く必要はない。右脳で考える練習のつもりでやってみるといい。

  ○ 日常の習慣化した行為、自分の行動パターンを意識的に変えてみる。普段通ったことのない道を通ってみる。普段買ったことのない雑誌を買ってみる。普段聴いたことのない音楽を聴いてみる。普段話したことのない人と話してみる。普段入ったことのない店に入ってみる。普段行ったことのない場所に行ってみる。普段食べたことのないものを食べてみる。行動の優先順位を変えてみるだけでもいい。たとえば、顔を洗ってから歯を磨いていたのを、歯を磨いてから顔を洗うという順番にしてみるなど。何か新鮮な発見があるかもしれない。



    

〜基本テキスト〜