詩人宣言




1.詩人は政治家であってはならない。

たとえば政治家は反戦を叫ぶが、詩人は反戦を謳う。人は、叫びには耳を塞ぐが、歌には耳を傾ける。詩人であることと政治家であることは両立しえない。


1.詩人は、太ったソクラテスになるくらいなら、痩せた豚でなければならない。

言葉の世界を豊かにするのが詩人の務めである。言葉以外のもので肥え太ろうとするくらいなら、痩せた豚(社会的に何ら価値のない存在)である方がマシである。


1.詩人は色気がなければならない。

「人を取除けてなおあとに価値のあるものは、作品を取除けてなおあとに価値のある人間によって作られるような気がする。」(辻まこと)
作品を取除けてなおあとに残るもの、それが詩人の色気である。


1.詩人は詩人を自任してはならない。

「詩人」とは、自ら名乗るものではなく、人からそう呼ばれるものである。
したがって、詩人は詩人になろうとしてはならない。詩人とはなるものではなく、そうあるものである。人が「あなたは詩人ですね」と言うとき、それは何かのプロセスの結果を意味するのではなく、存在のあり方そのものを意味する。
名刺の肩書きに「詩人」と書くなど、もってのほかだ。どうしても肩書きをつけたければ「モノカキ」とでもしておくべし。
インタビュアー:「ほう、モノカキですか。それで、どんなモノを書いているんですか?」
詩人先生:「おもに恥をかいています。アタマやアグラもかきます。たまにマスもかきます。後味はあまりよくありません」


1.詩人は、「イシ」を尊ばなければならない。

石=堆積の圧力によって密度を増すもの。転がり続けるもの。永遠の沈黙。
意志=言葉の代理人であろうとする志。
医師=処方箋を書く人間。(薬を調合する人間ではない)
遺子=見捨てられた子ども。「遺志」の最も正統な継承者。
縊死=究極の吃音状態。そして永遠の沈黙。


1.詩人は、コトバを使っても、コトバに使われてはならない。

木を削りたいときにカンナを使うのであって、カンナの切れ味を試すために木を使うのではない。
詩人は、詩を書くためにコトバを用いるのであって、コトバの切れ味を試すために詩を用いるのではない。
完全無欠の道具などありえない。そんなものがあるとしたら、それはもはや道具ではない。完全無欠の人間が、もはや何の役割も果たさないのと同じである。
道具の良し悪しを評価する人間は、道具の使い途を知らない。詩人は、道具としての言語の不完全性を肝に銘ずるべし。


1.詩人は、詩人である自分を日々更新しなければならない。

モノを書くという行為は、死神との延命契約のようなものだ。詩人は、おのれの作品の殉教者であるため、死神の誘惑は避けられない。
死神は、仕事中の詩人の傍らに常にいて、「オマエは何のために書くのか。その作品が完成するまで、オマエの命が永らえるという保証がどこにある?」と詩人に詰め寄る。
一方詩人は、「ちょっと待ってくれ。この作品が完成すれば答えが出るから」と死神の誘惑を横目で牽制しつつ、寿命との戦いに没頭する。
このように、作品だけが詩人であることの唯一の証しだが、ひとたび作品が完成し、詩人の手を離れて一人歩きを始めてしまえば、主役の座は作品それ自体に譲り渡され、詩人は一度死に、「かつてその作品の作者であった只の人」があとに残る。そして詩人は、再び詩人として生まれ変わるために、あらためてペンを握り直すのだ。


1.詩人は、他人を黙らせることができないなら、自分が沈黙しなければならない。


「・・・・・・。」


1.詩人は、ルールを守ってはならない。