■私たちはどんな時代を生きているのか



 「文明法則史学」というのがある。

 人間に知・情・体の三つのバイオリズムがあるように、地球にもバイオリズムがあるという考え方だ。

 村山節(むらやま・みさお)という人を創始者とし、林英臣(はやし・ひでおみ)という人が現在その普及に努めている。

 この考え方によれば、地球の文明は、約五〇年の誤差はあるものの、ほぼ八〇〇年の周期で浮き沈みを繰り返しているという。それは政治・経済・科学・芸術・思想・宗教など、人間の営みのあらゆる分野に渡る、ユニバーサル・ヒストリー(普遍史)だという。

 地球には大きく分けて、中東の紅海のあたりとハワイのあたりを二つの境として東と西の二本の波があり、この二つの波が交互に干渉し合う形で文明の栄枯盛衰を形作っているという。図→http://www.ktroad.ne.jp/~bunmei/outline/outline_1.html

 

 人間のバイオリズムにおいて、波が交わるときが危険日にあたるように、地球のバイオリズムでも、東西の二本の波が交代する時期が世界史的な激変期で、八〇〇年の周期のうちの約一〇〇年がこの時期にあたる。この時期は、気候の変化や民族の大移動が起きて、一つの文明の波が完全に衰退し、それになだれかかるようにしてもう一方の波が上向きになっていくという。

 これを見ると、二〇世紀から二一世紀への変わり目である現代は、まさに東西の波の交代期にあたっている。今回の世界史的な激変期は一九七五年頃から二〇七五年頃までの約一〇〇年間だという。

 私たちはまさにこの激変期のまっただ中にいる。そして二一世紀には、日本を含むアジアの時代がやってくることは間違いないようだ。

 先に挙げたような、今まで闇にまぎれていた社会の負の部分が次々と明るみに出て、それに影響されるようにして、若者が自分の足をどの方向に向けていいのか迷い、未来に希望を抱けなくなっているのは、社会が今まで内側にため込んできた「膿(ウミ)」を、ものすごい勢いで出そうとしているのだと、そしてそのウミが出尽くしたとき、社会はまったく別のものに生まれ変わるだろうと、私は密かに考えていたが、この文明法則史学はその考えに大きな裏付けを与えてくれたような気がする。

 

 林氏は次のように述べている。

 「今までの歴史をみると、力のある方がない方を侵略したために、下向きは悪いと思われがちですが、人類の意識がもっと進化したならば、下向きが悪くて、上向きが良いということはなくなるでしょう。下向きのときは、次に上向きがくるときに備えて、充分に準備する時期だと思います。どちらがいいということではなく、全部いいのです。

 つねに東西のどちらか一方が、地球文明をリードする役目を担っていて、交代期が来たらもう一方に役目をバトンタッチすればいいのです。

 東西の二本の文明波は、遺伝子のDNAの構造と同じく、二重螺旋になっているのではないかと考えています。きっと二重螺旋が一番情報を伝達するのにいいんですね。二本の線が互いに協力し合い、補い合うことができますから。二本の文明波のうち、どちらかが文明の創造期にあって、もう一方が準備期にあって、そして片方が作った文明をもう一方が受け継ぐというバトンタッチが可能です」

 

 二〇世紀から二一世紀への変わり目である現在は、世紀末であると同時に一〇〇〇年期末でもある。

 一〇〇〇年に一度の歴史の大きな節目に、人々は無意識のうちに何かを締めくくり、何かを新しく始めようとするだろう。一〇〇〇年単位の歴史の変わり目には一〇〇〇年分のエネルギーの移動がやってくるに違いない。文明法則史学を持ち出すまでもなく、それが人間の営みの持つ力学(ダイナミズム)だといえる。

 その大きな歴史のうねり、全人類的規模のダイナミズムを常に感じ取り、それに振り回されたり踊らされるのではなく、自然に振る舞う生き方を、私たちは心がけたい。

 かつて吉田松陰は、旅行した地で最初に高いところに上って土地の全体の様子をつかんでから平地を歩いたという。目の前の局所的な流れにばかり気を取られ、大局を見失わないようにしよう。

 私たちはいつでも歴史的クライマックスの中にいる。

 

※文中の引用および別紙図版は下記から

  『ニュースクール叢書四 地球のバイオリズム ―文明法則史学とは―』

     林英臣著 カタツムリ社