■「第一印象」という「悟り」



 第一印象とは恐ろしいものだ。それは新鮮で鮮烈で、何年たっても色あせることがなく、その後どんなに対象との関係を深めようが、あるいは言葉で分析し描写し語り尽くそうと試みようが、決して凌駕することのできない何かである。

 「禁じられた遊び」という映画がある。

 あれを観たのはいくつぐらいのときだったか。かなり小さいときだったと記憶している。しかしいくつかのシーンは今でも鮮明に覚えている。フランスの田舎町、主人公の少年は、戦争孤児となって拾われた少女を妹のように可愛がり、少女も少年を兄のように慕っている。まさに「ゆきずりの兄妹」である。その村の住人たちは戦争の犠牲者たちを総出で繰り返し弔う。それを見ていた幼い「兄妹」は、大人の真似をして「弔いごっこ」を始める。虫や小動物を殺しては墓を作って埋める。その幼な子の遊びそのものが痛烈な戦争批判になっているわけだ。その残酷な遊びを大人たちに見つかって禁じられ、それがもとで引き離されてしまった兄の面影を追って、妹が兄の名を呼ぶラストシーンは哀切である。

 しかし、今でこそこのように映画のあらすじをスラスラと抵抗なく書くことができるが、その当時は幼な心にどうしても理解できないことがあった。それがたぶんルネ・クレマンという名監督の映像の力なのだろうが、まず第一に兄妹のやっていることが、大人たちに叱責されるような悪戯とは私にはどうしても思えなかった。もっと真剣で厳粛でせっぱ詰まった儀式のように見えた。むしろ大人たちの振る舞いの方がよほど残酷で、滑稽にさえ思えた。だからまだ幼い二人の厳粛な儀式がなぜ叱責され、禁じられなければならないのか。

 まだ子どもの世界に属していた私には、大人の世界がやけに不条理に思えてならなかった。この世は何と不条理に満ちていることか。これから自分はこの不条理をどのように生き延びていけばいいのか・・・。

 兄の名を呼び続けながら駅の雑踏に消えてゆく幼い妹の後ろ姿に、私は自分自身のやるせない思いを重ねていたのだろうと思う。

 実は、今このように書いていて、あのとき自分が感じたことの全体とは、ちょっとズレがある、もっと違うことだったはずなのに、ともどかしさを覚える自分がいる。感じたことの全体をまるごと文章にしようと試みたときに必ず覚える感覚でもある。これが「書く」という行為に宿命的につきまとう現象なのかもしれないのだが・・・。

 いずれにしろ、私があの映画全体からほとんど直観的に受け取ったものは、何かもっと大きなもの、人間という存在の深部、命の根源、生きるということの本質のようなものだったはずだ。

 

      *        *

 

 ある夏休みのこと。朝、虫篭の中でカブト虫が死んでいるのを息子が発見した。それは数日前、息子と二人で近くの雑木林で採ってきたものだった。くぬぎの木にたまたま一匹だけとまっているのを見つけて捕まえた。先天的な奇形か、それとも何かの事故か、角が真ん中で直角に折れ曲がっていた。虫篭に土と木片を入れ、家に持ち帰った。きゅうりやスイカなどを与えると虫が下痢をして長生きできないと言うので、虫用の蜜を買ってきて与えていた。

 妻は足をちぢ込ませながら死んでいるカブト虫を見て、近所に住む息子の遊び友だちのタクちゃんが一度捕まえて放したものではないかと言った。何匹も捕まえているタクちゃんが奇形のカブト虫などいらないとばかり放したものを、われわれが再び捕まえたというわけか。

 いずれにしろ、息子に命の終わりというものを伝えるいいチャンスだと思い、庭に埋めてやろうと持ちかけた。ハンドシャベルで庭の植木の根元に穴を掘り、カブト虫を入れてまた土をかけた。息子は脇でじっとそれを見ていた。私は何か言わなければならないと感じ、「お祈りしよう」と声をかけ、手を合わせて祈りの言葉を捧げた。

「カブト虫さん、安らかに眠ってください。そして土に返って地球と一つになってください。ボクたちもやがて土に返って地球と一つになります」

 一緒に手を合わせていた息子は両手で一生懸命目をこすっている。必死で涙をこらえているようだ。やがてこらえ切れなくなったのか、目をこすりながら玄関に入っていった。私はいじらしくなり、その後ろ姿に「また捕まえにいこう」と声をかけた。その声に反応するでもなく、息子は扉の内に消えていった。私も後を追って中へ入ると、玄関先で息子が妻の膝に顔を埋めて肩を震わせていた。私と妻は顔を見合わせて、思いがけず息子にメッセージが伝わったことを確認し合った。

 

 そんなことがあった一・二週間後、妻が子どもを連れて里帰りをしているある日、夜中に私が部屋で一人ワープロを打っていると、ベランダでガサガサ音がした。懐中電灯で照らしてみると、カブト虫だった。あまり大きくないが、形のいいオスだった。息子が喜ぶだろうと思って虫篭にいれ、餌の蜜を入れておいた。

 息子が戻ってきてからは世話をまかせていたが、残念ながら今日虫篭の中で腹を上にして屍をさらしているのが目に止まった。息子を呼んで少し話をした。

「カブト虫、また死んじゃったな」

「うん」

「なんで死んだんだろう」

「ひっくり返ったからだよ。ひっくり返ったら三〇秒で死んじゃうんだって、タクちゃんが言ってたよ」

「ひっくり返っただけじゃ死なないよ。ひっくり返っても起き上がれないくらい弱っていたから死んだんだよ。生きていくのに必要な何かが足りなかったから死んだんだと思うよ」

「・・・」

「どうする?」

「埋める」

「埋めてあげるか」

「うん」

「じゃあ、そうしなさい」

息子はカブト虫を埋めに行った。しかし、私は何となくこれでいいのかと物足りなさを感じた。虫を捕まえては、しばらく飼って死なせ、また捕まえては死なせる、という繰り返しで、確かにその都度ちゃんと埋めてやり、儀式めいたことをやっているが、このままでは本当に「禁じられた遊び」と同じになってしまう。せめてもう一言息子に突っ込んだ話をしたい。しかし、生命の死の厳粛さ、畏れをどのように伝えたらよいのか。

 

 しばらくして息子がまた私の部屋にやってきて言った。

「埋めてあげたよ」

「そうか」

息子はすぐに自分の部屋からミニ四駆のボックスを抱え、下に降りて行こうとした。私はとっさに彼を呼び止め、こう言った。

「ダイキ」

「何?」

「今度はいつかパパも埋めてくれな」

息子は意味がわからなかったのか、キョトンとした顔でこちらを見ている。

「いつかパパが死んだら、カブト虫と同じように埋めてくれな」

今度は意味はわかったらしい。しかしどう答えたらいいのかわからなかったとみえて、ミニ四駆のボックスを両手でぶら下げ、口を真一文字に閉じ、真剣な眼差しでこちらをまっすぐに見ている。私も目を逸らさずに見つめ返した。

 そうしてしばらく二人で見つめ合っていたが、やがて息子がこう言った。

「でも幅が足りないよ」

「ハバ?」

「埋めるのに、幅が足りないよ」

「そうか、幅が足りないか」

私の脳裏に、図体がでかくてがさばる父親の屍を狭い庭に埋めるのに難儀している幼い息子の姿が浮かんだ。その瞬間、息子の脳裏にも同じイメージが共有されていたのかもしれない。

 次の瞬間、息子はさりげなくこう言った。

「それに病院に運ぶってこともあるしね」

「そうか、そうだな」

彼はミニ四駆のボックスを抱えてさっさと階下へ降りていった。

 私はたった今の息子の言葉を噛みしめていた。カブト虫の死がにわかにリアリティを帯びて感じられた。

 

      *        *

 

 ついでに、もう一つ映画の話をしたい。「追憶」という映画だ。

 ロバート・レッドフォードとバーブラ・ストライザンド扮する主人公が、大学のキャンパスで出会い、惹かれ合い、青春の日々をともに過ごし、やがて一人は華やかなビジネスの世界へ、もう一人は地道な市民運動の世界へと、それぞれの道へ別れていくというストーリーだ。私はこれを高校生ぐらいのときに観たのだろうか。そのときは、二人がなぜ避けがたく別れなければならなかったのか、その理由が釈然としなかった。

 その後、私自身も人生経験を積み、出会いと別れを繰り返し、その上で改めてこの映画を観直してみると、二人の別れの理由は自分事のようによくわかるようになった。

 しかし、最初に観たときに抱いた感覚、おそらくは映画全体の印象を引きずりながらも、ある特定のシーンに感応するようにして抱いた感覚は、その後何度観直しても、二度と蘇ることはなかった。

 あのときに抱いた感覚は、何か意識が一瞬地球の外まで飛ばされ、地球全体を外側から眺めているような、何か人生の真実、男女の営みを超えた人間の根源的な営みをチラッとかいま見せられたような神秘的な体験だった。

 

 今度は小説の話をしよう。ガルシア=マルケスの「予告された殺人の記録」という小説である。

 これは確か大学生のときに読んだのだと思う。短編なので数時間で読めたのだが、その最後のページを読み終わった瞬間、ラストシーンとファーストシーンが火花を散らし、円環を描いてつながり、私の頭の中で猛スピードで何度もリプレイされた。そして重く分厚い秘密の扉が開き、霞のかかった私の頭に一条の光が差し込むような気がした。それは私にとってアルキメデスが「ユーレイカ」と叫んだときのような大発見だった。それは殺人事件の謎が解けたということ以上の何かを私にもたらした。

 その後、あの麻薬的な感覚をもう一度味わいたくて何度読み返しても、また映画化された同名の作品を観ても、同じ経験をすることはなかった。

 

 第一印象には理性を超えた悟りがある。

 そこで私たちは一挙に対象の全体像を手に入れる。その全体像とは部分の総和を超える何かである。しかし、そんなことがなぜ可能なのだろうか。

 ソクラテスはメノンとの対話の中で、興味深い説を提示している。「徳は教えられうるか」というメノンの問いかけで始まるこの対話の中で、ソクラテスは次のように述べている。

 

 「魂は不死なるものであり、すでにいくたびとなく生まれかわってきたものであるから、そして、(中略)いっさいのありとあらゆるものを見てきているのであるから、魂がすでに学んでしまっていないようなものは、何ひとつとしてないのである。だから、徳についても、その他いろいろの事柄についても、いやしくも以前にも知っていたところのものである以上、魂がそれらのものを想い起こすことができるのは、何も不思議なことではない。なぜなら、事物の本性というものは、すべて互いに親近なつながりをもっていて、しかも魂はあらゆるものをすでに学んでしまっているのだから、もし人が勇気をもち、探求に倦むことがなければ、ある一つのことを想い起こしたこと――このことを人間たちは「学ぶ」と呼んでいるわけだが――その想起がきっかけとなって、おのずから他のすべてのものを発見するということも、充分にありうるのだ。それはつまり、探求するとか学ぶとかいうことは、じつは全体として、想起することにほかならないからだ」(プラトン著『メノン』岩波文庫)

 

 つまり、人間の魂は不死であり、何度も生まれかわりを繰り返しているため、今ここに生きている人間は、すでにありとあらゆることを学んでしまっている。したがって、「学ぶ」とか「探求する」とか呼ばれている行為は、すでに知っていながらも忘れてしまっている事柄を想い起こすことにほかならないというのだ。

 

 この、いわゆる「想起説」はソクラテスに始まってプラトンに受け継がれ、そして二十世紀にはマイケル・ポラニーによって再びいのちを吹き込まれたようにも思える。

 このハンガリー出身の類稀なる科学者は、その著書『暗黙知の次元』(紀伊國屋書店)の中で、『メノン』を引き合いに出しながら、次のように述べている。

 

 「もしすべての知識が明示的なら、つまり明らかに述べることができるのなら、我々が問題を知るということはありえず、あるいはその答をさがすことなどありえない(中略)それにもかかわらずもし問題が存在し、さらにそれを解くことによって発見をすることができるならば、それは、語ることができないことがら、しかも重要なことがらを、我々は知ることができるからにほかならない」

 

 ある問いが発せられると、私たちは必死にその解答をさがしもとめる。しかし、ある解答が与えられたとき、それが本当に自分のさがしもとめていたものであるという確信を、私たちはどのようにもつことができるのだろう。

 なぜなら、もしその解答が本当に自分のさがしもとめていたものだとしたら、私たちははじめから答えを知っていたことになるし、もしそうなら、そもそも問いなど存在しなかったことになる。ただ、知っていながら忘れていたことを思い出したにすぎない。

 また、もし自分のさがしもとめているものが何かを知らないのだとしたら、問いに対して期待される解答が得られても、私たちはそれに気づかないはずだ。

 それでも問いは発せられ、解答は与えられる。

 そして与えられたものを手に、私たちは「ユーレカ」と歓びの叫びをあげることができる。なぜだろう。

 それは、隠されてはいるが、それでも私たちが発見できるかもしれない何ものかについて、私たちがある種の「内感」をもっているからだと、ポラニーは述べている。彼はそれを「暗黙の知」(たとえ語ることができなくても知っているはずの事柄)と呼んでいる。

 第一印象――とても言葉では語り尽くせないと感じながらも、対象の全体像をまるごと受け取ったと確信できるような鮮烈な体験――それはまさに「暗黙の知」に属するものに違いない。

 

 もしかしたら私は無謀なことをしようとしているのかもしれない。なぜなら語り尽くせないことについて語ろうとしているからだ。

 私はこの文章を、第一印象の鮮烈さということから始めた。そしてそれは「暗黙の知」に属するものだと続けた。つまり語れないが知っている何かについて思い出すということ。それについて今、私は語ろうとしている。先に「禁じられた遊び」について書いたときに感じた齟齬(ズレ)の感覚を再び味わうだろうと直観的に感じながらも・・・。

 私たちは、すでに知っているはずのことを思い出すために問いを発し続け、そこからやってきたはずの場所に再び帰るために歩み続けるのかもしれない。