■旅のみやげ



 数年前、NGOの海外活動で二週間ほど家を空けた。それはNGOの幹部らと共にインドの貧困の現状を急ぎ足で視察するハードスケジュールの旅だった。

 久しぶりにわが家に帰ってくると、当時四歳の息子が、待ちかねたように笑顔で私に飛びついてきた。

 おじいちゃん、おばあちゃんは郷里に出かけているらしく、古い二世帯同居のわが家では、妻と息子と生後五カ月の娘が私の帰りを待っていた。

 やがて家族それぞれに買ってきたおみやげのお披露目となったが、息子にとってはおみやげよりも、久しぶりに帰ってきた遊び相手を独占するのにご執心のようだった。今までたまっていたものを一挙に吐き出す勢いで私に迫ってきたのだ。

 妻の話によると、息子は遠い異国の地で私が死んだのだと思っていたらしい。考えてみると、これだけまとまった日数、家を空けたのは初めてのことだった。私も帰国早々疲れていたが、父親業の空白を急いで埋めなければならないようだった。

 

 息子は私に似て、とにかく手を動かして何かを作るのが好きだったので、それでは前々からせがまれていたボール紙の自動車を作ってやろうと思い、材料と道具を用意して作り始めた。

 しかし息子は出来上がるまで我慢できないといった様子で、私も気が焦るあまり、やっつけ仕事になってしまい、あまりいい出来映えにはならなかった。それでも急場凌ぎにはなるだろうと思ったが、息子は気に入らない様子で、ブツブツ文句を言っていたかと思うと、そのボール紙の自動車を「こんなもの!」と言わんばかりに、いきなり破り捨てた。

 あまりに突然の出来事で、怒る気にもなれず、むしろ手抜きを見透かされたかという思いで、私は体からガックリと力が抜けるようだった。

 堪忍袋の緒が切れたのは妻の方だった。「パパがせっかく作ってくれたのに、何てことするの! パパに謝りなさい」と息子を怒鳴りつけた。私は、この状況で自分になすすべがないことを悟り、後を妻に託して二階の書斎に引き篭もった。

 

 「じゃあ、他のオモチャも要らないんだね。全部捨てよう!」

 妻は、一階の居間に散らかし放題散らかしている息子のオモチャを片っ端から箱に投げ込んで捨てようとしているようだ。息子はヒステリックな金切り声を揚げながら、必死で妻を掻き口説いている。

 妻と息子のそんなやりとりが書斎のドアを通して私の耳に届いていた。その昔、自分が息子と同じくらいの歳だった頃、同じように母親に叱責された苦い記憶が蘇り、私は天敵ににらまれてすくんで動けなくなった小動物のように、ただじっと息を殺していた。

 

 息子の小さな胸に去来するものが、私には何となくわかるような気がした。父親が見知らぬ遠い所に行って帰らぬ人となってしまったかもしれないという不安、その父親がようやく帰ってきたという喜び、そして、それまでの思いをすべてぶつけたいのに、なかなか受け止めてもらえないという苛立ち・・・。

 

 しばらくすると、息子の金切り声が激しい嗚咽に変わった。

 妻が盛んに慰め、落ち着かせている様子がわかる。そんなやり取りが続いていたかと思うと、息子のしゃくり上げる声が階段を登ってだんだん近づいてきた。息子は書斎のドアを開け、涙で顔をテラテラ光らせながら入ってきた。そして私を見るなり、声を引きつらせ、コトバを途切らせながらも、必死にこう言った。

「パ・パ、ゴ・メ・ン・ナ・サ・イ」

私は何も言わず、しっかりと息子を抱きとめた。息子は私の胸に顔を埋め、さめざめと泣いた。私は息子の熱い吐息と熱い涙を胸に染みこませながら、ただじっと息子の感情がおさまるのを待った。

 

 やがて息子の嗚咽は少しずつ収まっていき、穏やかで規則的な呼吸に変わっていった。私は息子を抱きかかえ、寝室に運んでそっと布団の上に寝かせ、自分も添い寝した。息子は泣き疲れたのだろう、私に背中を向けたまま、静かな寝息を立て始めた。

 

 インドでは他人の助けを必要とする人達をイヤというほど見てきたが、ここにも私を必要としている幼い命があるのだと改めて思い、私は自分に背中を向けて寝入ろうとしている息子の耳元で、そっとささやいた。

「ダイキ、パパは死んだりしない。パパは絶対死なない。パパは遠くへ行っても必ずダイキのところに帰ってくる。パパとダイキはずっと一緒だ。ダイキはとってもいい子だ。パパはダイキが大好きだ。わかったね」

すると息子は、私に背中を向けたまま、一度だけコックリとうなずいた。そしてそのまま深い眠りに落ちて行った。

 私は穏やかな息子の寝息を聞きながら改めて感じていた。旅の最大のおみやげは、無事に帰ってくることだと。