■イルカに惹かれて水中出産


 妻と知り合う前から水中出産に興味があった。

 フランスのミシェル・オダンという産科医が実践しているという話を本で読んだことがあった。陣痛の始まった産婦がたまたま水に入りたいと言い出し、自由にさせたところ、それがうまくいったというのが発端らしい。

 水の中では、浮力の効果と体が動かせてリラックスできるという事情から、産婦は自由な姿勢をとることによって陣痛の痛みを散らすことができる。胎児にとっても洋水から水中への移行だから、急激な環境の変化を防げ、母子ともに出産時ストレスが少なくてすむ。

 また、本来産婦の体は、陣痛の痛みを緩和するため、エンドルフィンというモルヒネに酷似した脳内麻薬物質の分泌によって護られる。これによって、娩出の瞬間、究極のオーガズムを感じて叫び声を上げる産婦もいるという。まさに「ナチュラル・ハイ」だ。

 

 結婚して子どもを産むなら、絶対水中出産だと思っていた。

 結婚してすぐに最初の子ができたが、その頃日本での水中出産の実践例はごく稀で、情報もなく、未開拓の分野だった。やむなく通常の病院出産だったが、その一部始終に立ち合ってみて、何か違うぞと思った。

 それはまるで交通事故か何かでかつぎ込まれた怪我人の外科手術でも見るような具合で、決して気分のいいものではない。そのわりには「みんなつらい思いをして産んだのだから」という理由で産婦は決して患者扱いされない。

 子宮口の開き具合を確認するため指はぐいぐい突っ込まれるわ、分娩台に拘束されて、お腹をぐいぐい押されるわ、挙げ句の果てに局部を切られるわ、という有り様だ。

 生まれれば生まれたで、子どもは産声を上げさせるためにこねくり回されるわで、私には産声が子どもの悲鳴に聞こえた。

 しかし、その時はそんなものなのだろうと思っていた。

 

 昔からのイルカ好きで、若い頃時々イルカの夢を見た。

 それはピンチに陥ったイルカを助ける夢だったり、自分がイルカになって大海を悠然と回遊する夢だったりした。それ以来自分は前世でイルカだったのではないかと思うことさえある。

 妻が二人目を身ごもっていたある日「イルカが人を癒す」という本を読んでいたら、地方の助産院で水中出産を手掛けているという話に出くわした。さっそく連絡したところ、東京で行われている水中出産のワークショップを紹介してくれた。

 それは日本で初めて三人の子どもを自分の手で水中出産した佐藤恵美さんという女性が主催する勉強会で、さっそく夫婦そろって参加したところ、いきなり目からウロコが落ちた。とにかく今まで聞かされてきた妊娠・出産に関する常識はすべて覆された。「医者は何も知らない」というのが佐藤さんの口癖である。

 また、そのワークショップでDOS(ドルフィン・オーシャン・スイム――野生のイルカと海で泳ぐこと)が趣味という妊婦とも知り合い、それが縁で小笠原と御蔵島でDOSも体験した。

 

 そういうわけで、妻は一人の医師と一人の助産婦と私と長男の見守る中、水中に女児を産み落とした。

 水の中で本能のままに身をよじらせている妻の姿は、水槽の中のイルカに見えた。妻は、水の中にあり、自分の股の間から頭を出している子をとり上げ、水からすくい上げ、背中をさすって洋水を吐かせ、その腕に抱き、すぐに乳首を含ませた。ヘソの緒は私が切り、産湯もつかわせた。

 それは実に穏やかでナチュラルなお産だった。寄せては返す波のように充実し、命の輝きに満ち溢れ、確かな手ごたえを感じさせるものだった。

 すべてが終わった後、妻は「三人目は海中出産かな」と実感を込めて呟いた。そして上の子は妹を目の中に入れても痛くないほど可愛がっている。

 一方、水中出産ベビーの方は、生後数時間で微笑む気配を見せ、二カ月後にはケタケタと大声を上げて完全に笑うようになり、四カ月が過ぎると、二本の足で立とうとするハッキリとした意志を表し、風呂に入れれば喜々として手足をばたつかせた。これもすべて水のご利益か。

 二人の子どものまったく異なる二つの出産に立ち合ってみて、私は一般の産院が次のような三つの大罪を犯していることに気づいた。

  ○ 薬物や医療器具や切開術などの医療処置が介入しすぎている。

  ○ 産婦を分娩台の上に拘束する。

  ○ 産後すぐに母子を引き離してしまう。

 日本ではいわば、正常出産できる多くの産婦が人為的に異常出産させられているといっても過言ではないだろう。医療従事者のほとんどは、これらのことが子どもの正常な発達や成長はもとより、母性や父性の健全な育成をも阻害しているということを知らない。その無知ゆえに彼らは善意の加害者になっているのだ。

 今私は、分娩台という名の拷問台の上から女性が自らを解放することを願ってやまない。