■「家」――夢の住処――



 妻よ、オマエの苦手な話をしよう。

 その女性は、私をその人に紹介してくれた人物の話によると、ある大きな事故によって、両の手足がその根元からもぎ取られ、極めて不自由な状態を余儀なくされている。

 私は、紹介役の人に、いきなり彼女の一風変わった住処に案内された。そこは家と家、街と街をつなぐ水路あるいは運河のような処で、彼女はその水の中で常に泳ぎながら生活しているという。

 水は薄白く濁っているのだが、汚れているような感じは受けない。それはまるで彼女が泳ぎながら流す汗のように清廉で有機的な印象さえある。彼女は泳ぎながら自分の体から分泌されるあらゆる物質を水に溶け込ませながら、またその水から養分を吸収して生きているかに見える。

 そう、まさにその水路は、彼女の生きる場所そのものなのだろう。いや、彼女の肉体の延長と言ってもいいかもしれない。

 その水の中で、彼女は実に生き生きとしている。その水の中にいる限り、彼女は肉体のハンデを気にせず、完璧に自由でいられるようだ。

 彼女を私に紹介してくれた人の話では、彼女は往年のアイドルスターで、その人気がピークを迎えたときに事故にみまわれ、現在の状態を余儀なくされたらしい。

 最初はリハビリのつもりで始めたその不自由な体での水泳が、結果的に彼女に第二のくつろぎの場所を与えたということのようだ。

 彼女は生まれたままの一糸纏わぬ姿で、胴体だけを器用にくねらせ、気持ちよさそうにその白濁した水の中を泳いでいる。ときどき息継ぎをするのに顔を水面に出し、また体をくねらせて水中に潜る姿は、まるでイルカのように見える。

 年の頃は四〇代半ばか、それよりちょっと上だろうか。しかし肌にはまだまだ艶があり、その豊満な乳房には張りが感じられ、それがさらに痛々しさを醸し出している。

 紹介者の話では、彼女にはリハビリのための大きな目標があるという。それは、水の中で、失われた手を使ってピースサインをしてみせることだという。

 私にはそれがどういう意味なのかよくわからなかった。事故で体の一部を失うと、すでに失われているはずのその部分に痛みを感じるという話は聞いたことがあるが、失われた手でピースサインをしてみせるというのは、どういうことなのか。それは単なる彼女の自己満足なのか、それとも何か象徴的な意味があるのか。そもそも、なぜ紹介者は、私を彼女のもとへ連れてきたのか。

 

 紹介者は、さらに私に突然の驚くべき提案をする。彼女の泳ぐその水の中に一緒に入ってみないかというのだ。なぜか私はその申し出に抵抗することができない。私も服を脱ぎ、おそるおそるその白濁した水、彼女の「家」の中に入ってみる。

 すると彼女は見事なストロークであれよあれよという間に私の元へ泳ぎ寄り、その不自由な体で私を水路の縁まで追い詰め、その豊満な乳房を私の顔に押しつけてくる。そして私はその乳房に夢中でしゃぶりつく。彼女は顎を突き上げ、悦楽の表情を浮かべる・・・。

 

 次の瞬間、私はおぼろげではあるが確かに見たのだ、私と彼女を隔てる白濁した水の彼方に、彼女が、口元をかすかにほころばせ、あるはずのない左手の人差し指と中指を立て、それをまっすぐこちらに突き出している姿を!

 

 妻よ、私がこの夢の本当の意味を知るためには、おそらくその後の私の人生を決するほどの重要なもう一つの出会いを待たなければならなかった。

 

 お前も一度は会ったことのあるY子先生は、夢を専門とするカウンセラーであり、自分の夢のメッセージを自分で読み解くというワークショップの主催者でもある。夢という現象に対しては、フロイトやユングに勝るとも劣らない深め方をしている人だ。西洋世界にフロイトとユングという二大巨頭がいるとしたら、日本にはY子先生がいると言っても決して過言ではないだろう。

 私がこのような言い方をするのは、Y子先生の夢に対するアプローチが、ともすると夢という極めて個人的な現象を、集団の論理に還元しがちな学問的アプローチとは一線を画しているという点にある。

 

 フロイトとユングという二人のビッグネームを聞くと、私にはまず思い出されることがあるのだが、それはある日、二人が会話をしている中で、フロイトが突然(おそらくは何かしらの理由で心理的に追い詰められ)卒倒してしまったという逸話である。

 詳しいことはわからないし、事実かどうかもわからない。しかし、そのようなことが有り得るとしたら、いったいどのような理由でかと、私は長い間疑問に思ってきた。

 いずれにしろ、二人が活躍した時代の遺産である近代合理主義的なアプローチからは、納得のいく答えは出てこないだろうと思うし、偉人にはつきものの単なる面白半分のエピソードとして私自身も片付けていたかもしれない。

 

 しかし、Y子先生とのおつき合いの中で、そんな奇妙な現象も起こり得るということを、頭ではなく体で感じるようになってきたのだ。

 おそらくY子先生の目指されていることは、既存の心理学的体系に依拠しながらも、個人の手から奪い取られ、実験台の上に乗せられてきた夢を、もう一度個人の手に戻すことではないかと思う。

 それが証拠に、Y子先生の主催するワークショップでは、参加者の持ち寄った夢をまな板の上に乗せて心理学的に分析したり解釈したりはいっさいしない。

 それは、たとえ心理学者の言うように、個人の見る夢がその人の無意識が作り出した映像であり、すべての人間の無意識が「集合無意識」というかたちでつながっていたとしても、夢の住処はあくまで夢見の主体である個人であり、その夢の意味を汲み取るのは、見た本人に任せられるべきものだというY子先生の強い信念からくるのだろう。

 実際、Y子先生の周りには、自分の見た夢の意味を真剣に読み解こうとする人たちが数多く集まってくる。彼らは(私も含め)専門家でも何でもない。ただ純粋に、自分の見た、気になる夢の意味を知りたいと思っているのだ。

 

 月一回、一年間に渡って行われる夢の長期講座では、参加者は毎回自分の夢を題材に、Y子先生がオリジナルで開発したイメージワークによって、その夢の読み解き作業を行っているそうだが、そこで毎回同じ夢を題材として違うイメージワークに取り組んだ女性がいたという。文字で表現してしまえば一行で終わってしまうそのたった一つの夢に対し、どんなワークをやっても納得のいく答えが出てこない。Y子先生も、納得のいく答えが出てくるまで続けましょうと、本人を励ます。いつしかワークはその女性とY子先生の一対一のカウンセリングの局面にまで至る。

 そして半年が経ったある日、彼女の心にストンと落ち込むような答えが突然訪れる。その瞬間、彼女は思わずその場にへたり込み、突っ伏したまま顔を上げることもできず、やがて烈しい嗚咽とともに肩を震わせたというのだ。

 

 フロイトとユングの間にも、大の大人を卒倒させるような心理的な葛藤劇が演じられたとするなら、それはユングが意図的にフロイトを追いつめたということではなく、二人の会話の中で、フロイト自身が身を震わすほどのある個人的な何かに気づいたということではなかっただろうか。

 

 妻よ、私がなぜオマエの苦手な夢の話をしたかといえば、それは私の見たあの奇妙な夢が、他ならぬオマエに大きく関係していることを私自身気づいたからだ。

 

 それは私がY子先生の夢のワークショップに参加したときのことだった。

 例によって参加者たちはそれぞれ自分の夢を持ち寄って、Y子先生の指導のもとにその夢の読み解き作業をする。私はそのワークショップで、先に記した夢を題材として選んだ。それはとりも直さず、その夢が長い間、私の心に引っかかっていたからだ。

 実際のワークをやる前に、そのやり方に関してY子先生から説明があったが、その中で私の記憶に妙に得心のいく形で残った一言があった。それは「夢のメッセージは、夢を見た本人がいちばん受け取りやすいイメージに形を変えて本人の無意識が発したものである」というものだ。

 私たちの無意識は、私たちがそのときいちばん必要としていることを知っていて、それを夢という媒体を介してメッセージとして伝えようとしている。そのとき、私たちの無意識は私たちがそのメッセージをいちばん受け取りやすいイメージは何かを知っていて、そのイメージに託してメッセージを伝えようとする。

 おそらく私の無意識は、言葉をめぐる想像力に対する私のこだわりと同時に、私の心の鈍感さも知っていて、こいつにはよほどインパクトのある映像でも見せない限り、重要なメッセージに気づいてくれないと思ったに違いない。

 先に記した夢に関して言えば、少なくとも強いインパクトを残すという無意識の意図は、間違いなく私に伝わったわけである。しかし、その夢に託された肝心のメッセージの方はいっこうに読み取られる気配もなく、私の無意識はさぞかし歯がゆい思いをしていたに違いない。

 

 約二時間のワークの中で、実際の読み解き作業が始まって一時間半ほどが経過しようとしていたときだった。

 何らかの手ごたえをつかみかけているような予感はあるものの、私にはまだ納得のいく答えが訪れてはいなかった。まさにあの夢のヒロインが、白く濁った水の中で、あるはずのない手でしてみせたピースサインのように、その答えは、おぼろげに、あまりにもおぼろげに、私の脳裏をかすめては消え、かすめては消え、を繰り返していたのかもしれない。

 ワークが煮詰まってきても私が納得いかなかったいちばん大きな理由として、その夢の気味の悪さにもかかわらず、見終わった後の何とも知れない充足感、幸福感があった。その夢から覚めた私は、まるで一編の小説を読み終わった後のような感動的な余韻にひたっていたのだ。私はその感動の意味を説明する言葉を見出せずにいた。このなんとも知れない満ち足りた気分はいったいどこからくるのか。

 そんな膠着状態の中で、Y子先生は、私を含めた何人かの参加者に対して、自分の見た夢の中から、特に気になるキーワードをひとつだけ抽出し、そのキーワードの視点から、夢の物語の全体を語り直すことを指示した。

 私はキーワードとして迷わず「ピースサイン」を選んだのだが、「ピースサイン」の視点から物語を語り直すとはどういうことか。

 「それはたとえば『ぼくはピースサインだ』という出だしで始めるように、そのキーワードを擬人化して表現するということですか」

とY子先生に聞いてみると、そうだという。

 これは私のストーリーテラーとしての想像力が試されていると感じた私は、「ピースサイン」の視点から物語を語り直すことを真剣に考えた。もしかしたらその語り直しの作業が、あの感動の寄って立つ源を教えてくれるかもしれないという予感のようなものに背中を押されるようにして。

 そして次のように物語を書き換えたのだ。

 

『ぼくはピースサイン。ぼくをこの世に産み出したいと思っている人がいるけど、でもその人には無理なんだ。なぜならその人には手がないから。その人はいつもぼくのことを思い、夢見ながら、水の中で暮らしている。その方が自由にのびのびできるからだ。

 でもついにぼくを産み出すときがやってきた。ぼくというメッセージを手渡すにふさわしい人が、ぼくのご主人様に現われたからだ。

 その瞬間、ぼくには、この世に生まれたという意識も感覚もほとんどなかった。でも確かに生まれたのだろう。なぜならご主人様のお相手がそのときびっくりしたような表情をし、次の瞬間、何とも満ち足りたような幸せな表情に変わったからさ』

 

 この書き換え作業の最中に、私にある気づきが訪れた。

 妻よ、ここに描き出されたものはまさに、私がオマエの出産に立ち合った経験そのものではないか。オマエは第二子を水中出産で産み、私と長男はその一部始終に立ち合った。水槽の中で自分にとってのいちばん理想的な出産の体位をさぐるべく身をくねらせているオマエの姿は、イルカそのものだった。

 そのようにしてオマエが娘を産み落とした瞬間は、私にとってまさに至福の時であり、そのときの私はさぞかし満ち足りた表情をしていたに違いない。

 

 しかし、夢の中のヒロインがオマエの分身だとするなら、そしてその分身の姿を借りてオマエが私に何かしらのメッセージを伝えたかったのだとするなら、なぜ彼女には手足がなかったのか。そして幻のピースサインはいったい何を意味するのか。

 

 妻よ、そのとき私の脳裏に浮かんだのは、喜びの源である子どもを産んではみたものの、その日から、三十台の女盛りを家事と育児に明け暮れ、まるで手足をもぎ取られたように不自由な状態ではあるものの、家庭(水路)という限られた世界の中でささやかながらも精一杯のびのびと生きているオマエの姿だった。そして私の耳には、次のようなオマエからのメッセージが響いていた。

 

「あなた、わたしは大丈夫です。このままでいいのです。このままで充分幸せです。もちろんわたしの住処であるこの『家』という空間は、限られた狭い世界かもしれないけれど、そこでわたしは精一杯生きています。それが私の人生なのです。そのことをわたしはあなたにわかってほしいのです。でもわたしは自分の素直な気持ちを表現するのが苦手だから、あなたにはうまく伝わらないのかもしれません。

 ほら見えるでしょ、わたしの気持ちが。これがわたしのささやかな表現です。それでもあなたが振り向かないのなら、わたしの官能を味わいなさい、妻であり母である官能を・・・」

 

 妻よ、オマエからのメッセージは確かに受け取った。しかし私にはわかっている。あの幻のピースサインは、まさにそれが水中生活からのリハビリの目標として掲げられていたように、居心地のいい住み慣れた「家」からのオマエの旅立ちの合図でもあるということを。