■「手」



 こんな話を聞いたことがある。

 ある看護婦養成学校の入学試験での話だ。看護婦の「看」という字を分解すると「手」と「目」に分かれる。そこである年の作文の試験に「目」というテーマを出した。次の年には当然「手」というテーマを出すところだが、毎年漢字一字ではあまりにも芸がないということで、審査委員は少しひねりを加えて、次のような出題の仕方をした。

 「あなたが手で行う最良の行為は?」

 この難問に対し、関係者全員を唸らせる見事な答えを返した受験生が一人だけいた。彼女は「祈ること」と答えたのだ。

 おそらく彼女は普段から祈る習慣を持っていたのだろう。そうでなければ、なかなかこのような答えは出てこない。もちろん彼女は文句なく合格した。

 

 ある目的に向かって人事を尽くし、それでもまだ何かやり足りないと感じるとき、最後の手段として人は祈るのかもしれない。そういう意味では、祈りとは究極のパフォーマンスと言えるのだろう。

 そのように常に自分を高め、物事を追求している人は、おそらくその努力が輝きとなって表情や態度に表れるに違いない。そしてその輝きはきっと周りの人をも自然に輝かせるだろう。祈りが天に通じ、人を動かすとはそういうことなのかもしれない。

 

 彼女の解答が関係者の心を打ったのは言うまでもないが、彼女が合格した最大の理由はおそらくそこにはないだろう。

 そもそも彼女の答えがなぜ人を感動させたかと言えば、それは彼女が看護婦という職業にとって最も大切な精神を見事に言い当てたからだろう。それはとりもなおさず、彼女が看護婦になる準備が充分にできていたことを表わしている。

 精神のレベルにおいて、学生である前に看護婦であるような人物を、誰が不合格にできようか。


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