■ 「日本社会(日本人)が同質的であること」の功罪
   ――架空裁判傍聴記




 一九九九年○月○日、ある裁判が行われた。それは、「日本人ないし日本社会が同質的であることについて」という裁判である。こうしたひとつの概念が審理されるのは裁判史上初めてのことだった。原告側は「日本社会が同質的であることは公序良俗に反する」と、無条件の有罪を主張し、一方、被告弁護団は「日本人が同質的であることに、いかなる不法根拠も認められない」と、全面無罪を主張していた。

 この日の冒頭陳述において、こうした概念を審理するにあたり、まず「同質的」という言葉の明確な定義が必要であるとの提案が出され、活発な議論の末、「同質的」という言葉は「日本人には他の民族にない固有の国民的アイデンティティがある」という意味と、「日本人は画一的であり没個性的である」という意味の二通りに解釈できるという結論に達した。その結果、この二つの解釈でそれぞれ別個に審理を行うという、これまた裁判史上異例の措置がとられるに至った。

 まず、前者の解釈にのっとった審理では、無罪を主張する被告側は「粋」「雅」「もののあわれ」などの概念を証拠として提出し、これらはほとんど日本人の血の中に共通に存在する美意識であり、外国人にはとうてい理解できない、あるいは理解にすこぶる困難を要する概念であり、日本古来の深い伝統に根ざした、世界に誇るべき類希な文化であると主張した。

 一方、有罪を主張する原告側は、日本文化の優れた面を認めた上で、日本の国際化が叫ばれる昨今、「はっきりNOと言える日本人」「外国で殺されない日本人」を目指すべきであり、日本人固有の美意識に固執することは、世界的な視野に立った意味での公序良俗に反すると主張し、今こそわれわれは日本人としてのアイデンティティではなく地球人としてのアイデンティティを確立すべきだと結んだ。しかし、結局この審理は行き詰まり、両者の主張は接点を見いだせぬまま平行線をたどることとなる。

 次に、「日本人は画一的であり没個性的である」という観点による審理の方だが、まず被告側は、最近国民に対して行われた大規模なアンケート調査の結果を証拠として掲出しつつ、「日本人が画一的であり没個性的である」というのは、実は大多数の日本人が持っている「平等感」や「中流階級意識」の、心ない者による作為的な言い換えにすぎないという論理を展開した。その論拠として、戦後における「高度産業化」「技術革新」「高度経済成長」「所得倍増」などの国民的目標に対する、「教育および雇用の機会均等」や「余暇時間の増大」などの国内的実績、および「経済大国としての日本」「アジアのリーダーとしての日本」などの国際的評価を挙げた。

 こうした被告側の弁論が展開されるにつれて、傍聴席はこころなしか高揚した空気に包まれていった。その雰囲気に気をよくした被告弁護団はさらに、今日のわが国の繁栄は、高度なテクノロジーによって生産物の品質を高いレベルで維持管理し続けてきた結果であり、国民一丸となったたゆまぬ努力の結晶であり、すべての国民がそのテクノロジーの恩恵に浴しているのだと弁論を展開し、その証拠として高度にオートメーション化された生産工場の構造やそこで生産された各種ハイテク製品を提出した。

 

 しかしこれが結果として原告側の反論を煽ることとなった。原告側は、被告側が提出した証拠とまったく同じ性質を持つインスタントラーメンや使い捨てカメラなどをやはり証拠として提出し、「日本人の伝統的美意識の後退」「一億総味音痴化」「環境破壊」「深刻化する産廃問題」など、まったく違う論理を展開した。

 そして、「高度産業化」「技術革新」「高度経済成長」などの名のもとに、実際には何が行われてきたかを立証するため、森永ヒ素ミルク事件の被害者、水俣病患者、過労死を遂げた猛烈サラリーマンの遺族らが証言台に立ったときは、廷内の高揚した雰囲気は一転して凍りつき、重苦しい空気が流れた。それを見て被告側は自分達の作戦が失敗に終わったことを悟った。

 

 膠着した審理に勝機を見いだし、一気に均衡を破るチャンスと見た原告側は、「日本人が同質的だとしたら、それは作られた国民性である」と論点を拡大した。

 つまり、日本経済がここまで高度に成長したのは、品質の高い製品を生産してきたことよりも、購買欲求を巧みに煽られた消費者を生産してきたことが原因であるというのである。

 原告側は、モノが売れなければ経済の発展はありえない以上、生産者にとって、「隣が買ったからわが家も」という同族意識的精神構造、われもわれもと新製品に飛びつく単一指向型の国民性が必要だったのであると畳みかけ、こうした生産者側の教育(洗脳?)は消費者にとどまらず、明日の日本を担う若い世代にも「受験戦争」「偏差値教育」「いじめ」「登校拒否」「校内・家庭内暴力」という形で深刻な影響を与えていると敷衍した。

 

 こうしたわが国の人間性を無視した教育の犠牲者であり、なおかつ頼もしい告発者でもあるとして原告側が召喚した若者が証言台に立ったときの驚きは、彼がすでに故人であり、故人を証言台に立たせるわけにはいかないので、代わりに霊媒士の口を借りて語らせたという驚き以上のものだった。

 彼は名を「山田かまち」という。一九六〇年生まれ。折しも高度成長まっただ中。幼少より並外れた絵画の才能を示すが、認められないまま十七歳という若さでエレキギターの練習中に感電死するという悲運をたどる。しかし彼が絵画や文章の形で遺したメッセージは、発表されるやたちどころに若者の心をとらえてしまったという。彼がいかに特異な才能の持ち主だったかを立証するため、最近刊行された彼の詩画集が提出され回覧されると、次々に感嘆の声が沸き上がった。

 その声に乗じるようにして原告側の弁論が始まった。

「誰にも真似できない独創性、的確な表現力、類希な色彩感覚、豊饒なイマジネーション、有能な画家に要求されるあらゆる条件を極めて高い打点で満たしていることは、その作品集を見れば誰にも疑いようがないはずです。

 しかしどうでしょう。自分の周りにいる単なる無名の十七歳が画用紙に描いた絵を持ってきて見せたとしても、あなた達は今感じたと同じ衝撃を感じたでしょうか。

 彼の悲運は、才能がありながら若くして非業の死を遂げたという点にあるのではありません。人と違っていたり特異であったりということよりも、他人と同じであったり人並であったりということを好み、異種を排除するようなわれわれ大人達によって煙たがられ、その才能に値するだけの正当な評価を受けられなかったという悲運なのです。

 ランボーにとってのヴェルレーヌ、十六歳の無名の少年から送られてきた一篇の詩を読んで、即座に『来たれ、偉大なる魂よ』と返信するような人物と巡り会わなかったという悲運なのです。

 皮肉なことに、中学浪人という、今の日本社会ではどん底と思われる時期が、彼にとっては人生でもっとも芸術的に実り豊かな時期でした。

 われわれは翼を持った鳥に対して、飛ぶことよりも地べたを這いつくばる方法を覚えろと助言するような世界の住人なのです。特異な才能を排除するばかりではなく、そうした才能を見いだし、正当に評価する目を持った人間をも育てぬような世界の住人なのです。天才といえども、生き残るためには才能だけでは足りない、周囲の軋轢や冷たい視線にも屈服せぬ図太さと狡猾さも兼ね備えていなければ許さぬというほど寒々しくも息苦しい世界の住人なのです。

 こんな国が、若者に個性的であることを許容せず、人間性を犠牲にして生産ラインの歯車のひとつに徹することを強いるような国が、世界に誇るべき文化を持った国といえるでしょうか。

 われわれは今こそ申し上げたいのです、日本社会が同質的であることに何らかの意義があるとしたら、それはベルトコンベアーとコピー機の上でだけのことだと」