「人間になりたかった雪男」


 むかしむかしヒマラヤの山の中に雪男が住んでいました。背丈は三メートル近くある大男で、全身毛むくじゃら。「雪男」とはいうものの、とても人間の男には見えません。むしろクマか大きなサルに近いかっこうをしていました。それに、人間のことばをしゃべることもできませんでした。

 雪男は、森のほら穴にひとりぼっちで暮らしていました。風の音や雪の匂いだけが雪男のなぐさめでした。雪男は友だちがほしいと思いました。でも、森の動物たちは雪男の姿を見かけると、こわがって一目散に逃げていってしまうのでした。雪男は、相手をこわがらせたくない一心で、いつも静かに静かにそっとそっと近づくのですが、動物たちは雪男に寄りつこうとはしませんでした。雪男はそんな自分がいやでいやで仕方がありませんでした。雪男はみなをこわがらせている自分自身をおそれていました。

 森の中でときどき人間たちの姿を見かけることもありました。人間たちは森に狩をしにきたり、木ノ実や山菜をとりにきているようでした。雪男は、そんな人間たちをいつも遠くから気づかれないようにそっと見ていました。たまに見つかってしまうこともありましたが、そんなとき雪男は急いで物かげに隠れてしまうので、人間たちはクマか大ザルでもチラッと見かけたとしか思っていなかったにちがいありません。雪男は、人間たちに姿を見られたら、動物たちと同じようにこわがられ、二度と近よってはもらえないだろうと心配していたのです。

 それでも雪男は、人間ならきっと友だちになってくれるにちがいないと、ひそかに思っていました。なぜなら、自分のかっこうにいちばん近いのは人間だったからです。雪男は、ときどき人間の住む里の村までおりていき、物かげに隠れてそっと様子をうかがうのでした。里の村では、人間たちが楽しそうに暮らしていました。子どもたちは外で元気に遊び回り、大人たちは畑仕事をしたり、食事を作ったり、川でサカナをとったりしていました。そしてときどき大人も子どもも一緒になってお祭をして、楽しく過ごしているようでした。雪男はそんな様子を見て「ああ、自分はなぜ雪男に生まれてしまったんだろう。なぜ人間に生まれなかったんだろう。人間に生まれればよかったのに。ああ、人間になりたいなあ」と思うのでした。

 雪男は、人間になりたいなりたいという思いが募りに募って、もしかしてうまくすれば人間になれるのではないかと思うようになりました。よし、ためしに人間と同じ暮らしをしてみよう、と雪男は思いました。とはいえ、雪男には畑仕事をすることも、おいしい食事を作ることもできません。でも、サカナとりは得意でした。サカナは雪男の大好物でした。毎日のように川へいき、その大きな毛むくじゃらの手でサカナを器用にすくっては、ガブリと頭からかじりついて食べていました。

 ある日、いつものように雪男が川へサカナをとりにいくと、川にはすでにサカナとりの先客がいました。それは小さな人間の少年でした。雪男はハッとして、急いで岩かげに隠れ、少年に見つからないようにそっと様子をうかがいました。少年は川の向こう側にいて、サカナとりにすっかり夢中になっているため、雪男にはまったく気づいていないようでした。

 少年は川の流れに膝まで浸し、サカナの影を目で追いかけ、近づいてきたサカナを手でつかまえようとしていました。でもなかなかうまくいかないようでした。少年は何度も何度も同じことをくり返し、何とかサカナをつかまえられないかと必死にがんばっているのですが、サカナの逃げ足のほうがよほど速いため、どうにもうまくいきません。ごくたまに少年の指先にサカナがひっかかることがありましたが、それがせいぜいでした。そのたびに少年はくちびるをかんでくやしがり、またサカナの影を目で追いかけ、チャンスを待っているようでした。

 そんなことを何度もくり返しているうちに、とうとう少年の根気もつきたようで、くやしがりながらもあきらめて里の村のほうへ帰っていってしまいました。

 雪男は、山のほら穴にもどった後も、ずっと少年のことを考えていました。雪男は、自分がいつもサカナをとっているあの川で、あんな小さな人間の少年を見かけるのははじめてのことでした。なぜ今まで出くわさなかったのだろう、と雪男は思いました。そうか、いつもは自分は朝早く川にいってサカナをとっているけれど、今日はたまたま遅くなったから出会ったにちがいない。今までは入れちがいで出会わなかったのだろう。あの少年も実は毎日あの川にサカナをとりにきているのかもしれない。

 それにしても、なぜあんな小さな人間の少年が、こんな森の奥の川にひとりできているのだろう、と雪男は思いました。人間たちは、雪男が住んでいる川の上流のほうではなく、もっとずっと下流のほうに住んでいて、そこでサカナとりをしているため、めったに出会うことはなかったのです。それなのになぜあの少年は、こんな上流のほうまできて、ひとりでサカナとりをしているのだろう。雪男は不思議に思いました。もしかしたら、少年も自分と同じようにひとりぼっちなのかもしれない。そうだとしたら、ひとりぼっちどうし、友だちになれるかもしれない。雪男はそう思うと、とたんに少年に親しみがわいてきました。

 雪男は、どうしてもあの少年にもう一度会ってみたくなり、次の日もまた同じぐらいの時間に川へでかけてみました。すると、同じようにまた少年が川にきていて、同じようにサカナとりに夢中になっているではありませんか。雪男はまた岩かげに身をひそめて、少年の様子をうかがいました。少年は昨日と同じように必死にサカナをつかまえようとしていましたが、やはりうまくいかないようでした。少年はしばらくがんばっていましたが、またあきらめていってしまいました。雪男は、帰っていく少年の後ろ姿が見えなくなるまで、物かげに隠れたまま見送ると、自分もほら穴に帰りました。

 その晩も、雪男は少年のことばかり考えていました。何とかあの少年と友だちになれないものだろうか。いきなり近づいたのでは、こわがって逃げられてしまうのが落ちだろう。まずは自分の姿を見せずに、友だちになりたがっていることを少年に伝えなければならない。でもどうやって・・・。そんなことを考えていると、突然、雪男の頭に名案が浮かびました。

 次の日、雪男は朝早く川にでかけ、得意の技でサカナを三匹とり、それを少年がいつもやってくるあたりの岩の上にきれいに並べ、昨日少年の様子を見ていた場所に隠れて、少年がやってくるのをじっと待ちました。

 やがて少年がやってきました。少年は岩の上にきちんと並べて置いてある三匹のサカナに気づき、不思議そうにそれをながめました。そしてあたりを見回し、だれもいないことを確かめると、そのサカナを一匹つまみ上げ、裏をひっくり返したり匂いをかいだりしていましたが、やがて三匹ともかかえて、またあたりを見回したかと思うと、急いで里のほうへもどっていきました。

 それを見ていた雪男は、しめた、と思いました。すっかり気をよくした雪男は、次の日も朝早く川へいき、同じようにサカナを三匹とり、それを昨日と同じ岩の上にお行儀よく並べて、少年がくるのを辛抱強く待ちました。

 すると間もなく少年がやってきて、岩の上のサカナを見つけると、あたりを見回し、だれもいないことを確かめると、そのサカナをかかえて、また昨日と同じように急いで帰っていきました。

 雪男はまた、しめしめ、うまくいった、と思いました。少年は、何とか素手でサカナをとろうとしても、まるでうまくいかない自分の姿を、だれかが陰で見ていてかわいそうに思い、かわりにサカナをとってプレゼントしてくれたのだろうと思ったにちがいない。雪男はそう思ったのです。

 すっかり気をよくした雪男は、もっともっと少年にプレゼントしたいと思い、次の日もまた川にいって、同じようにサカナを三匹とり、岩の上に置いておきました。

 しばらくすると、少年がやってきましたが、おどろいたことに今度は大人の男が少年といっしょについてきていました。雪男は気づかれないように、さらに頭を低くして様子をうかがいました。少年は、ほらね、とばかりに岩の上に置いてあるサカナを指さして男に見せました。男は不思議そうにサカナをながめると、少年と同じようにあたりを見回し、だれもいないことを確かめると、首をかしげながらもサカナを持ち上げると、手にしていた袋にサカナを入れ、かわりに袋からイモを三つとり出して、岩の上にていねいに置きました。そしてまたあたりを見回すと、首をかしげながら、少年をつれて里のほうへもどっていきました。

 二人の姿が見えなくなると、雪男は急いで岩のところまでいき、イモをとり上げてほら穴にもどりました。そしてすっかり有頂天になって、アッという間にイモを全部食べてしまいました。そのおいしかったこと、おいしかったこと。雪男は、自分の考えたことが、こんなにうまくいくとは思ってもみませんでした。

 雪男は、次の日も少年にサカナをプレゼントしたくて、朝早く川へいきました。するとどうでしょう、袋をかかえた少年が、一足先に川へきていて、あたりを見回しているではありませんか。雪男はビックリして、あわてて物かげに隠れました。少年は、いったいだれが毎日サカナを岩の上に置いているのかつきとめようと思って、先回りしたのだろう、と雪男は思いました。いつもの岩の上にサカナが置いてないのを見て、あたりにだれもいないことがわかったら、少年はがっかりして帰ってしまうかもしれない。でも、うっかり出ていって、いきなり少年に自分の姿を見せるわけにもいかない。雪男はどうしていいかわからず、物かげに身をひそめたまま、ぐずぐずしていました。

 するとそのうち少年は、あきらめたようにうなだれて、川に背を向けて帰ろうとしかけました。雪男はそれを見て、思わず物かげから身を乗り出しました。そのとき、雪男の足元に落ちていた枯れ枝がポキリと音を立てて折れました。雪男が、しまった、と思ったときには、少年が物音に気づいて、こちらをふり返っていました。少年は、だれかがいるのだろうと思ったのでしょう。音のしたほうへ近づこうと、川原に袋を置くと、川の中へ入ってきました。雪男はあわててまた物かげに隠れました。

 少年は、物音のしたほうへ近づくのに夢中になり、知らず知らずのうちにどんどん川の深いところに近づいていきました。そのときです、少年は急な流れに足をすくわれ、バシャンと音をたてて川の深みにはまってしまいました。少年は手足をバタバタさせ、どんどん流されようとしています。ビックリした雪男は岩かげからおどり出て、急いで川に飛び込み、少年をすくい上げました。少年は何が起こったのかわからず、まだ手足をバタバタさせています。雪男は少年をこわがらせないように、そのままそっと岩の上に下ろしました。すると少年はようやくわれに返って、雪男の姿に気づきました。少年は最初、キョトンとした目で雪男を見上げていましたが、次の瞬間ワッという声を上げ、一目散に逃げ出しました。雪男は、逃げていく少年の後ろ姿を、ただ寂しそうにいつまでもいつまでも見送っていました。

 雪男は、少年が置き忘れていった袋を持ち上げ、中をのぞいてみました。その中には昨日と同じようにイモが三つ入っていました。雪男はその袋を持ってほら穴に戻り、頭をかかえて考えました。おぼれかけた少年を助けるためとはいえ、あんなふうに少年をこわがらせてしまい、少年は二度とふたたび川へやってこないのではないか。せっかくサカナのプレゼントで友だちになれるかもしれなかったのに・・・。雪男は袋の中のイモをとても食べる気にはなりませんでした。その袋はそのまま少年に返すつもりでいたのです。サカナのお返しにイモをもらうのはとてもうれしかったのですが、もともとお返しがほしくて少年にサカナをプレゼントしたわけではありません。それでも少年は今日、イモを自分で持ってきて、岩の上にサカナを置いておいただれかを見つけ出し、直接イモを手わたそうとしたのにちがいありません。雪男はその少年の気持ちがうれしかったのです。それなのに少年をおどろかす結果になってしまい、どうしたらいいのだろうと思いました。

 次の日、雪男はもう一度少年に会えないかと思い、また川へやってきました。少年の姿は見えませんでしたが、雪男は何となく、少年が近くに隠れていて、こちらの様子をうかがっているのではないかという気がしました。雪男は、またサカナを三匹つかまえると、それを持ってきた袋の中に入れ、川の浅瀬を向こう岸までわたり、いつもの岩の上にそれを置き、また川をわたって物かげにかくれました。

 するとどうでしょう。少年が草むらから姿をあらわしました。やはり少年はきていたのです。少年は、雪男が置いた袋を持ち上げて中をのぞき込むと、しばらく考え込んでいました。すると少年は、イモだけを袋からとり出して岩の上に置くと、サカナの入った袋をそのままかかえて、また急いで草むらへもどっていきました。それを見ていた雪男は、そっと物かげから出て、ゆっくりと川の浅瀬をわたり、少年が置いたイモをひとつとり上げると、少年が隠れている草むらのほうへ向けて少し差し出すまねをしてから、そのイモをムシャムシャとおいしそうに食べてみせました。

 するとどうでしょう。少年が突然ヒョッコリと草むらから姿をあらわしたのです。少年の手には、サカナの入った袋がしっかりとにぎられていました。雪男は一瞬ビックリしましたが、少年と友だちになるチャンスだと思い、少年のほうへ一歩近づきました。すると少年は、一瞬ビックリして一歩後ろへ下がりました。それでもすぐに踏みとどまり、真剣な目でまっすぐ雪男を見つめました。雪男は少しはずかしくなり、モジモジしながらしばらくうつむいたままでいましたが、もう一度少年を見たくて、また顔を上げました。少年はまだそこにいて、雪男をじっと見ていました。そこで雪男は、目の前を泳いでいるサカナをサッとすくい上げると、そっと少年に近づき、そのサカナを少年に差し出してみました。少年はどうしようか迷っているようで、手を出したり引っ込めたりしていましたが、やがて雪男の手からサッとサカナをうばいとったかと思うと、それを持っていた袋に入れ、雪男に背を向けて、一目散にかけ出しました。でも逃げていく途中、少年は何度も雪男の方にふり返り、見えなくなる寸前には、雪男に向けてほんのちょっと手をふったように見えました。

 雪男はすっかり有頂天になってしまいました。そして次の日も少年に会いたくて川にやってきました。すると少年もやっぱり川にきていました。手には昨日と同じように袋をかかえていました。雪男がまたサカナをとって少年に差し出すと、少年はしっかりとそれを受け取りました。もうおどろいたり迷ったりはしませんでした。そして袋からイモをとり出し、雪男に手わたすと、今度はハッキリと雪男に手を振りながら帰っていきました。

 こうして雪男は毎日毎日川へいき、少年もまた川へやってきて、二人はすっかり仲よくなり、くる日もくる日も一緒にサカナとりをしたり、水のかけ合いをしたりして遊びました。この頃になると、雪男はつかまえたサカナを少年に手わたすだけでなく、そのまま自分でムシャムシャと食べてみせるということもしていました。少年はそれを見ると、ケタケタと楽しそうに笑ってみせるのでした。また、雪男はつかまえたサカナをそのまま逃がすということもしてみせました。少年はそれを見ると、雪男のほうを見てニッコリとうれしそうにほほえんでみせるのでした。それを見た雪男も、少年にニッコリとほほえんでみせるのでした。

 こうして雪男は、いつもいつもサカナをとっては少年にプレゼントする必要がなくなり、少年もサカナのお返しにイモを雪男にわたす必要がなくなったのでした。

 それからしばらくしたある日のこと。雪男はいつものように川で少年と遊んでいました。その日二人は相撲をとって遊んでいました。少年がエイッとばかり力まかせに雪男を押すと、雪男はもんどり打ってたおれてみせるのでした。それがおもしろくて少年は何度も何度も勝負をいどみました。勝負は何度やっても少年の勝ちでした。

 こうして二人は何十回相撲をとったことでしょう。少年が力まかせに雪男を押すと、雪男はもんどり打ってたおれ、それを見た少年は勝ち名乗りを上げました。雪男は少年を両手で高々と差し上げ、少年のからだをゆすって勝利をたたえました。少年はキャッキャと声をあげてよろこびました。

 そのときです、雪男の後ろで何か叫ぶ声がしました。雪男が少年を差し上げたまま後ろをふり向くと、人間の男が銃をかまえて立っていました。次の瞬間、バアーンと銃声がしたかと思うと、弾は雪男のわき腹に命中しました。雪男は苦しくてたおれそうになるのを必死にこらえ、少年にケガをさせないようそっと静かに下におろし、そしてガックリとその場にたおれました。少年は一瞬何がおこったのかわからず、ただボーッとしてその場に立ちつくしていました。男がかけ寄ってきて少年を抱き上げました。

「大丈夫か?」

男がいいました。その瞬間、少年はワーッと泣き出し、「どうして撃ったの、どうして撃ったの、お父さん。」と、その男の胸をげんこつでたたきながら叫びました。その男は少年の父親だったのです。

「ぼくはこの人とお相撲をとっていただけなのに・・・!」

「この人?」と少年の父親は不思議に思って聞き返しました。そして、たおれている雪男の顔をのぞき込みました。するとどうでしょう。毛むくじゃらの雪男の顔から、みるみる毛が消えていき、最後にはとうとう人間の顔になってしまったのです。

 その日の夕暮れ、村人たちは総出で大きな墓を掘り、そこに雪男を埋めました。

 それからちょうど一八〇日たったある日、墓のまわりにたくさんの雪割り草が咲きました。そしてその場所には毎年冬になると雪割り草が花を咲かせ、その花の数が多ければ多いほど、その年の作物の収穫が多い、という言い伝えがいつしか生まれました。やがて村人たちは、秋になるとその年の収穫を祝うお祭りをやるようになり、そのお祭りを「雪男祭り」と名づけたということです。