驚くべき「夢」の世界


■夢が創造活動や問題解決に役立った例
■夢は最も深い無意識の産物
■夢と現実は別物か?
■「ドリームサイエンス」という新しい分野
■「みる夢」から「叶える夢」へのプロセス
■驚くべき「ドリーム・テレパシー」実験
■問題解決テクノロジーとしての夢

















■夢が創造活動や問題解決に役立った例
○ジョン・レノンは、「イマジン」を夢の中で作詞・作曲した。
○1865年、フレデリック・オーギュスト・フォン・ケクレは、炭素化合物の構造を夢でみて、有機化学分野の新発見をした。そして1890年の学会で「諸君、夢をみることを学ぼう!」とスピーチした。
○プロゴルファーのジャック・ニコラウスがスランプのとき、夢でみた新しいグリップを試したところ、成功し、スランプを抜けることができた。
○シンガーミシンの創立者エリアス・ハウは、ミシンの針に糸を通す方法を模索していた。そんなとき、槍を持った原住民に追いかけられる夢をみて、その槍の先に穴が開いているのに気づいた。そこでハウは糸の先端に穴を開けるアイデアを思いついた。
○ホンダが世界3大メーカーに先駆けて低公害エンジンを開発したときのこと。完成したエンジンを船に載せていざアメリカへ乗り込もうとする日の前日、開発チームの一人がエンジン部品の一部に故障が発生する夢をみた。翌日その技術者の忠言に応じて渡米チームが予備の部品を持っていったところ、案の定その部品に故障が発生した。すぐに交換して見事アメリカの排出ガス検査をパスした。
○アメリカのある工場主は、産業スパイから工場の機密を守る方法を考えていた。ある晩彼は、「自分の家の庭が水浸する」という夢をみた。それにヒントを得て、改めて工場内を点検したところ、機密ファイルを無防備な監督室に保管していることに気づいた。さっそく彼は監督室を整備した。(1987年 ジャック・マグワイヤーの調査による)
○韓国のデパート火災で生き埋めになった女性が、もうダメだと思ったとき、夢にお坊さんが現れ、リンゴをくれた。その直後その女性は奇跡的に助け出された。
○小舟で遭難して行方不明になった男性の奥さんが、「○月○日に帰るよ」と夫が言うのを夢でみた。その何日か後に、奥さんは実際に夫の無事の知らせを受け取った。
○仕事を辞めざるを得なくなって困っていたが、この不況の折に、「転職するならこんな会社」と自分に厳しい条件を課していた。ある夢を読み解いたら、夢に登場したある人物が長い間会っていなかったSさんだとわかった。Sさんに何気なく電話したら、ちょうど経理のバイトを探していると言われた。Sさんの会社は自分の条件にピッタリだったので、即決した。
○新しく事業を立ち上げるところで、自分の不得意分野をカバーしてくれるビジネスパートナーが必要だった。夢の力を信じていたので、どこを探せば最適な人に巡り会えるのかを夢で探ってみたところ、その日の夢に見知らぬ男性が現れた。その男性には女性の仲介者がいて、その女性には見覚えがあったので、その人に連絡したところ、ピッタリの人を紹介してくれた。するとまさに夢でみたその男性にそっくりな人物で、すっかり意気投合し、今では欠かすことのできない仕事の相棒になっている。
 
■夢は最も深い無意識の産物
 人間の無意識がどのような仕組みになっているかについては諸説あるが、一般的には、無意識、潜在意識(深層無意識)、集合無意識(あるいは共通無意識)という具合に、3つぐらいの層を形成し、その表層部分にいわゆる「意識」というものが形成されていると考えられている。そして、ユングによれば、この「集合無意識」と呼ばれる最深層の部分において、私たちは(過去も現在も含め、そして時空を超えて)すべての人たちとつながっているという。
 いずれにしろ、私たちが日頃「意識」と呼んでいる部分は、人間の認識野のほんの表層の部分にすぎないことは明らかなようだ。つまり、人間の認識能力は、「意識」と呼ばれる領域をはるかにしのぐ広大なものなのだ。
 そして「夢」は、こうした私たちの無意識の最も深い部分に端を発し、各層に属する諸々のイメージを吸い上げながら、私たちの意識に昇ってくるものなのである。




■夢と現実は別物か?
 「夢」という言葉の意味には、いわゆる、睡眠中に「みる夢」と、願望を表わす「叶える夢」とがある。どちらも「現実」という言葉と対比されるように、非現実的な取るに足らない絵空事と思いがちである。
 しかし、ベトナム帰還兵にみられる戦争の心理的後遺症や、阪神・淡路大震災の被災者が体験したPTSD(心的外傷後ストレス症候群)でも問題になっているように、私たちは恐ろしい体験をした後に悪夢が続いたり、嫌な夢をみると一日中嫌な気分を引きずったりする。あるいは逆に、つらい体験をした後、夢でカタルシスを味わったり、未来に待ち受けるつらい出来事に対し、夢が前もって予行演習をさせてくれ、現実を受け入れる心の準備が無意識に出来上がったりすることさえもある。
また、「みる夢」が現実の窮地を救ったり、夢でみたことがヒントとなって実際の問題が解決したり、創造性を発揮したりという例は枚挙に暇がない。
これは、「みる夢」と「叶える夢」が、人生における車の両輪のようなものであり、夢と現実を切り離して考えることは、この両輪のバランスを崩すことだということを物語っている。
 
■「ドリームサイエンス」という新しい分野
夢を精神分析的な目的ではなく、個人の人間的な成長や問題の解決、創造性の発揮などに応用しようという試みは、1980年代頃からアメリカを中心に発達してきた。
その間、実に多彩な「ドリームワーク」や「ドリームカウンセリング」の手法が編み出されてきた。フロイトが「夢判断」を世に問うてから100年、ややもすると象牙の塔に閉ざされがちだった夢という極めて個人的な現象は、ようやく解き放たれ、再び個人の手に委ねられようとしている。
夢を科学的な研究対象からもう一度個人の手に戻そうという動きは、いわゆる「ニューサイエンス」とか「ニューエイジ運動」という言葉に代表されるような、それまでの科学的パラダイムの偏狭さに対する反省に立った、「知の地殻変動」「知的パラダイムの大変換」の動きと期を一にしている。
 二十世紀前半の知的パラダイムが「サイエンス」という場合、たいていは資料や文献に基づく書斎科学か、あるいは再現性(何度でも同じ結果が出る)を重視する実験科学のことを指す。
 一方「ドリームサイエンス」とは、野外科学の一種である。野外科学では、一回しか起こらない事象をどう扱うかを探求する。
 夢は、個人の思考パターンやイメージによって形作られていて、一回限りのものであり、また他人の夢と比較できる性格のものでもない。「ドリームサイエンス」では、一回限りの夢の、個人にとっての個別の意味合いを重視する。この点こそが、夢占いや夢分析と決定的に違う点である。
 考えてみれば、私たちの生活は一回しか起きない事柄の連続である。したがって、このような実生活に役立つ、「生きられる」科学を目指すのが「ドリームサイエンス」なのである。
 
■「みる夢」から「叶える夢」へのプロセス
@ドリームワークやドリームカウンセリングによって夢を学ぶことにより、まず寝ている時の夢と現実が互いに影響し合っているということが実感として理解できるようになる。
Aそして、物事の表面にこだわらない心が得られ、自分が心の底で何を求めているかがはっきりわかるようになる。
Bすると、自分が置かれている状況に対する客観的な洞察力が養われ、自分の目指すものへの確信が生まれる。
Cさらに、その洞察力や確信に基づいて行動を起こせば、抱えていた問題が解決し、まず身近な夢が叶うようになり、叶った体験の積み重ねで大きな夢が叶うようになる。
Dそして、ひとたびこの「夢」のプロセスを経験した人間は、そのノウハウを活かして他人の夢の実現を手助けすることができる。







■驚くべき「ドリーム・テレパシー」実験
 日本における夢研究の第一人者・大高ゆうこ氏は、夢が人間の最深層の部分から起ち現われ、そしてあらゆる人間が集合無意識を介してつながっているとするなら、夢というメディア(媒体)が、どの程度の情報伝達能力を有するのかを立証すべく、共同研究者とともに次のような「ドリーム・テレパシー」実験を繰り返した。
<実験の要領>
 被験者数名。その中の一人が情報の発信者となり、残りが受信者となる。発信者は、絵本、音楽CD、映画や演劇のパンフレットなどの中からひとつを選び、その素材にまつわるキーワードをひとつだけ提示する。受信者は、そのキーワードを思い描きながら一晩夢をみる。そして翌日、皆のみた夢を持ち寄って、何が伝達されたのかを検討する。発信者が何を素材として選んだかは、受信者には検討が終わるまで明かされない。
 
●事例T
@発信者は「ともだち」というキーワードだけを受信者に伝え、受信者は寝る前に「ともだちについて夢をみる」と自分に言い聞かせる。発信者は、提示したキーワードと自分が選んだ素材で受信者に伝えたい情報を心の中でイメージする。
A受信者は、その晩みた夢をすべてメモし、翌日それを持ち寄って、複数の受信者の夢に現われたシンボルやイメージを洗い出す。
 B検討の結果、現われた共通項目
       ・児童公園
       ・緑色
       ・介抱
       ・汚水がきれいになる
       ・食えない
       ・ドキドキする
 C発信者がキーワードの出題源(素材)を明かす。
 素材は『ともだち』という題の絵本。ネコと金魚の友情物語で、金魚を食べたいけれど友達だから食べられないとネコは思い、その葛藤から逃れるため旅に出る。旅から戻ると、金魚は病気で死んでいる。そして死んだ金魚の妻が、自分を食べてくれたらネコの栄養になれると言う。
   発信者は、次のようなイメージを受信者に送った。
       ・友達だからこそためらう。
       ・児童書
       ・病気
       ・のんびりした所
       ・ドキドキする(文章そのまま)
※「ともだち」というキーワードだけ聞かされた受信者は、「児童」「病気介抱」「食べたくても食べられない」「ドキドキする」といった絵本の内容、ストーリー、登場人物の心情まで受け取ったことになる。
 
●事例U
 @  キーワード「音楽」
 A  同上
 B  共通項目
       ・感覚的重さ
       ・体が動かない
       ・自殺
 C  素材は、CD『神童』1曲目イベリア舞曲 渡辺茂夫バイオリン
 渡辺茂夫は神童と呼ばれたバイオリニストだが、留学中にノイローゼになり、自殺未遂後、植物状態となり、やがて死去する。
    発信者は、渡辺茂夫の伝記を読んだ衝撃と、この曲の演奏の鬼気迫る感覚をイメージした。
 
●事例V
 @  キーワード「恋愛」
 A  同上
 B  共通項目
       ・絶望感
       ・階段
       ・お姫様
       ・華やか
 C  素材は、ミュージカル『美女と野獣』のパンフレットの見開き(舞台写真)
    この舞台写真はまさに城内のパーティ会場で、中央に大きく階段があった。
    発信者は、この舞台写真をそのまま視覚的にイメージした。
 
 以上のような事例からわかることは、他者の発したある情報全体を構成する要素のうちの一部に焦点をあてて眠ると、夢の中に、その情報の極めて本質的な部分までもが、感情や身体感覚をも伴って現われるということである。
 この実験から、夢という媒体を通しての情報伝達(コミュニケーション)は、時間・空間を超え、同じ問題意識をもつ者同士の間で的確になされるということが実証されたと言っていいだろう。
 
■問題解決テクノロジーとしての夢
 夢を日常の問題解決に役立てようとする研究は、もともと米国プリンストン大学の心理学者ヘンリー・リード博士とバージニア大学の精神医学者ロバート・バン・デ・キャッスル博士によって、1980年代に行なわれていたが、その後米国では実用に供する技法としての本格的な体系化はなされていない。
それを受けて、夢の臨床研究家である大高ゆうこ氏を中心としたわれわれの研究グループは、日本で独自の研究調査を行ない、それをもとに本格的な実践的問題解決技法として体系化した。
 この、夢というコミュニケーション媒体の伝達能力を公共の利益に資するべく開発されたのが、次にご紹介する「D.I技法」である。
 
★D.Iの3つの意味
D.I技法の「D.I」には、次のような3つの意味合いが含まれている。
@Dream Incubation(夢の孵化)
ADream Integration(夢の統合)
BDream Innovation(夢の革新)
 つまり、D.Iは人間が寝ているときにみる「夢」を用いる問題解決技法であり、上記の3つの意味合いは、夢によるこの問題解決技法が実際の問題にいかに解決策を導き出すか、そのプロセスを表わしてもいる。
○まず@の「夢の孵化」は、まさに夢が生まれ出る瞬間を意味すると同時に、問題の現出をも示している。
○次にAの「夢の統合」は、個人がみた夢と集団に発生した問題とが統合される過程を示している。
○そして最後にBの「夢の革新」は、夢と問題とが統合された結果、まったく新しい革新的な解決策が導き出されることを意味する。
 
 集団に発生する問題は、関係者の意識下では、すでにその本質が暗黙裏に認知されている場合が多い。しかし日常的には、社会通念、常識、偏見、利害関係、決まりきったものの見方や感情に捕らわれているため、それらによってブロックがかかり、問題の本質はなかなか表には現われず、言語化されないのが実状のようだ。つまり「何となくモヤモヤしているが、ハッキリとは口に出せない」という状態である。
 このように心理的なブロックがかかった状態で、KJ法やNM法など、人間の論理的思考プロセスをモデル化した既存の問題解決法を当てはめると、「論理的なプロセスを踏んだのだから、出てきた答えは正しいはずだ」という落とし穴に陥りやすく、理性面では納得していても、感情や感覚的な部分では相変わらずモヤモヤしているという状態で先に進みかねない。
 このように、既存の問題解決技法の場合、論理的であるがゆえに左脳偏重になりやすいが、一方D.I技法では、情報整理のプロセスにおいて論理的な方法を用いながらも、むしろ主眼は、「モヤモヤ」の部分に真っ先にメスを入れ、左脳的論理性ではなく、逆に右脳の働き(直観力・想像力・洞察力・感受性など)を活性化させることにより、ほとんど「問題の発現=解決策の創出」というところまで、プロセスが一足飛びに簡略化されるところにある。その結果、出てきた答えは、論理的にうまく説明はつかなくとも、「ピンとくる」「腑に落ちる」「これだ!これに間違いない」というものになる。
 
 
●技法の導入事例
 
◎ 事例T
 国際的に知られる経営セミナー講師フランシス・メネゼスは、1987年、インド政府直営の大規模化学工場で、52人の研究員を対象に、研究開発部門の士気を高めるため、D.I技法を使った。
 対象者全員が夢と現実両面からのアプローチ方法で、職場での悩みをメネゼスに報告。メネゼスが、これらの報告を記録、分析し、それに基づく提案を上層部に提出した。上層部はその提案に従って、数々の改革を行なった。(1987年)
 
◎ 事例U
 資金ぐりに苦しむある零細下請企業でD.Iを行なった。キーワードは「…マル秘…」と出た。そこで参加者の一人が「アッ」と叫んだ。前日、居酒屋でとなりに座っていた人が「ここはマル秘だぞ。ここはマル秘だぞ。」と話していたのを思い出したのだ。
 さっそくその居酒屋に行ってみると、店主の親戚が大きな工場を持っていて、特殊な技術を持つ共同開発企業を探していたことが分かり、2つの会社は合弁事業を行なうことになった。(1999年4月)
 
◎ 事例V
 2つのベンチャー企業が、統合合併による新製品の開発、大手市場への参入を検討していた。それに関してD.Iを実行したところ、「競争、混同、くり返し奪う」といったキーワードが抽出された。そこで合併ではなく、社員の出向による共同開発に切り替え、経営は独立採算としたところ、現在ではうまく共存ができている。(1999年6月)
 
◎ 事例W
 日本国内のある市民団体で、運営スタッフ会議の沈滞ムードを改善するため、D.I技法を導入。
 その結果、「反転」「役割の交換」というキーワードが検出された。それをヒントにスタッフの人事を再検討し、お互いの役割を交換してみたところ、沈滞ムードは一変し、皆が俄然活き活きとし始めた。(1999年7月)