■私の世代



 あなた達のご両親は、おそらく現在四〇代後半から五〇代が大半ではないかと思う。この世代は、いわゆる「団塊の世代」と呼ばれる人たちで、戦後の第一次ベビーブームの時期に生まれ、日米安全保障条約やベトナム戦争にからむ社会運動が最も活発化した時代に青春期を過ごした世代だ。

 しかし、高い社会的な理想を掲げた闘争も、志し半ばで事実上の挫折を味わう。

 団塊の世代のひとりである評論家の小浜逸郎氏は、そうした自分達の世代が共通に抱いている気分のようなものを

「革命の理想に一度はいかれかけた挫折感や羞恥感が後遺症のようにおおいかぶさっている」(PHP刊『正しく悩むための哲学』より)

と表現している。

「掲げていた理念は間違っていなかったはずなのに、なぜうまくいかなかったのか」

「生きる拠り所を失って、どのように再出発すればよいのか」

それが、ひとりひとりのその後の人生に課せられた大きな宿題だったに違いない。それに答えを見い出せないまま(ある意味で問題を棚上げにしたまま)、よくも悪くもすでに今の日本の中核を形作っているのがこの世代だ。

 私の個人的な観察では、この世代は、きちんとした反省の上に立ち、理念の修正あるいは新たな価値観の創出をした(あるいはしている)人間と、挫折感と敗北感を引きずったまま、割り切れない欝屈した気分でエネルギーをくすぶらせながら「終わりなき日常」を生きている人間とに、大きく二極分化しているように思える。前者の代表格としては「ニューエイジ世代」が挙げられるのではないかと思う。しかし、団塊の世代の大半はやはり後者のようだ。

 あなた達はこうした世代を親として生まれてきた。そのあなた達の世代と就職指導を通してつき合っている私からすると、親の世代の欝屈した生き惑い方が、あなたたちの世代に確実に伝染しているように見える。あなた達の世代がわけのわからない不安や空虚感にさいなまれて生き惑っているとしたら、親の世代のそうした気分を映し取っているのではないかと私は思っている。

 団塊の世代から遅れること一〇年あまり、彼らの背中を見ながら育ったのが私の世代である。

 一九七〇年に起きた「よど号乗っ取り事件」や七二年の「浅間山荘事件」などは、テレビのニュースに釘付けになり、「どうなるんだろう」、また「あの人たちは、どうしてあんなことをするんだろう」と思いながら見ていた記憶がある。

 

 誤解をおそれずにこういう表現を使うなら、あの当時は学生運動という政治的な「お祭り騒ぎ」(ランチキ騒ぎ?)を社会が用意してくれていて、それに乗るか乗らないか、ということだったのではないかと思う。

 私の世代は、自分で「祭の準備」をしないと、誰もお膳立てしてくれない時代に生きてきた。つまり自分の人生は自分で盛り上げないと、誰も盛り立ててはくれない世代である。

 実は、団塊の世代と私の世代の間に、もうひとつ「三無主義世代」というのがあった。「無関心、無感動、無責任」をモットーとする世代ということだ。これは明らかに、団塊の世代のお祭り騒ぎの反動で、いわば「祭の後の虚しさ」を引きずった世代だろう。この世代が私の世代の直接の先輩ということになる。

 私の世代は「三無主義世代」のさらに後で、いわば団塊の世代と、私たちの後にやってくる、いわゆる「新人類」と呼ばれる世代にはさまれた「狭間の世代」ということになるだろう。

 つまりランチキ騒ぎの後の虚無感を引きずりながらも、新人類のように達観もできず、上と下の世代の両方の気持ちが少しづつわかるが、完全に同調はできず、あわよくば、自分たちでお膳立てをしても、もう一度お祭り騒ぎをやってみたいと思っている世代といったらいいだろうか。

 こんな世代を名づけるとしたら、さしずめ「ポスト祝祭世代」とでも言ったらいいだろうか。

 現に今私は、団塊の世代の人たちとつき合う機会が増えている。彼らが社会の中核になっているという理由もあるだろうが、私としてもっと重要な意図は、彼らの背中を押し、ネジを巻き、協力して(「団結」ではない)沈潜した社会をもう一度活性化させようじゃないか、ということだ。

 また、私のような狭間の世代が、社会の中堅層の背中を押すのと同時に、これからの社会を担うあなた達の世代を引っ張り上げようとする意義も大きいと、私は考えている。就職指導の現場を通して、私があなた達の世代とつき合っているのも、決して偶然ではない。

 

 子どもは親の背中を見て育つというが、団塊の世代を親に持つあなた達の世代が親の世代を理解するのは難しいのではないかと思う。親の世代にとっても、あなた達の世代を理解するのは難しいだろう。その間の約三〇年の間に、大きな「知の地殻変動」があったからだ。

 したがってその「世代の断絶」を埋め、間を取り持つ役目が必要だ。それが「ポスト祝祭世代」の役割のような気がする。団塊の世代のパラダイム(規範)が、既存の価値観に対する「カウンター・パラダイム」だったとするなら、私の世代が打ち出すべきは、新旧両者を統合する第三のパラダイムだろう。

 団塊の世代にとって、私の世代は、おそらく自分の甥や姪のように見えるに違いない。あなた達の世代からは、ときどき家に遊びにきて、親子関係などの愚痴を聞いてくれる親戚のおじさんやおばさんのように見えるのではないだろうか。この中間の立場は非常に重要だ。

 やや気負った言い方をするなら、「ポスト祝祭世代」は、二一世紀の日本の方向性を決するキー・パースンになる世代ではないかと思っている。そういう視点で見てみると、今注目すべき面白い活動を始めている人たちに、一九五〇年代後半から六〇年代生まれの人(まさに私の世代)が多いことに、改めて気づかされる。

 また、さらに面白いのは、私の世代と私の親の世代(つまり昭和一桁生まれの戦中・戦後派で、高度成長期を支えてきた世代)との断絶を埋める役目を、団塊の世代が引き受けている場面に実際に出会うということである。つまり団塊の世代は、私の世代とその親の世代にはさまれた狭間の世代ということができるわけだ。

 このように一〇年二〇年単位で各世代が構成され、モザイク模様を形作り、それぞれ上下の世代を取り持つような関係になっているように思えてならない。

 そうした意味から言うと、あなた達の世代は、最後の団塊の世代および三無主義の世代と今の一〇代(つまり彼らの子どもたち)との間を取り持つ世代とも言えるだろう。今の一〇代が、親や教師との関係で心を乱し、生き惑い、キレているとしたら、双方の代弁者となり、何が原因なのかを気づかせ、間を取り持つ役目を、私はあなた達の世代に大いに期待している。


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