■暗がりでなくした鍵を探す方法



 こんな笑い話がある。

 ジョンが道を歩いていると、トムが地面に這いつくばって何か探し物をしています。

「何をなくしたんだい、トム」

「家の鍵だよ」

そこでジョンも探すのを手伝い始めます。しばらくしてジョンが聞きます。

「見当たらないようだけど、本当にここで落としたのかい?」

「本当は家の中だよ」

「じゃあ、なぜこんなところを探してるんだい?」

「家の中よりここの方が明るいんでね」

 

 

 「自分はいったい何者か」「自分はどう生きればよいのか」

 人生とは、これらの問いに対する答えを見つける旅かもしれない。

 右に挙げた笑い話は、スーフィズムの指導者たちが好んで語る物語のうちのひとつである。もちろんそこには、読み手を苦笑させる以上の目的が込められている。

 たとえば、この話を念頭におきながら、次のようなワークをやってみたらどうだろう。まず、話の中で、なくした鍵を必死で探している人物のように、自分が何かを必死で探していると想像してみる。

 

一・あなたは何を探しているのか?

(どんなに奇妙な答えでも、とにかく何か答えが心に浮かぶのを自分に許すこと)

  あなたはどこを探しているのか?

  そこは明るいか?

  出てきた答えからどんな連想が浮かんでくるか?

  今どんな気持ちか?

二・次に鍵について考える。鍵とは何のためのものか?

  今現在、あなたの人生にとっての鍵とは何か?

(やはり、何らかの答えなりイメージなり考えなりが出てくるのを自分に許すこと)

三・次に、自分にこう言ってみる「鍵をなくしてしまった」

  これが自分の中にどのような感じを引き起こすか?

四・今度は「鍵は自分の家にある」と考えてみる。これはどんな思いや

  感じを生むだろう。

五・そして最後に、上記の物語全体をまとめる。

自分は、本当はわが家にあることを知っている鍵を、鍵はないけれども家の中より明るい場所で探している」

 

 さて、どのような個人的連想が呼び起こされただろう。

 

 さらに、「明るみ」と「暗がり」ということについても、考えてみよう。

 

 心には対立する二つの領域がある。光あるいは「昼」と、闇あるいは「夜」である。

 鍵は家の中にある。私たちの家の、つまり心の、科学の、暗い未踏査な領域にだ。私たちは通常、昼の光に魅了され、少々目がくらんでいる。そのため、一般に昼間の光のもとでものを探す方がたやすい。

 しかし、私たちが探しているものが、そもそもそんなところにあるという保証は何もない。鍵を見つけるには、多少野暮でも、暗い場所を探さなければならないかもしれない。ひとたび暗闇で目指すものを見つけたら、それを光の中へ持って出て、つぶさに検討すれば、心の二領域を統合することができるかもしれないのだ。

 

 たとえば、あなたは近い将来、なるべく広い土地に大きな家を建てて住みたいと思っているとしよう。

 あなたはその夢の実現に向けて、暇さえあれば、住宅情報誌や新聞の折り込み広告に目を通している。しかし、なかなか理想的な物件は見当たらない。広ければ当然値が張って、自分の収入では一生かかっても手に入りそうにない。安い物件を探せば、狭いか遠いかである。

 しかし、あなたは物件探しを諦めようとはしない。そのうち探すこと自体が趣味のようになってしまい、見つかるか見つからないかはどうでもよくなって、探す行為そのものに快感を見いだすようにさえなっている。

 やがてあなたに恋人ができ、いつしか相手を物件探しにつき合わせるようになる。最初はもの珍しさでつき合ってくれていた相手もそのうち飽きてきて、あなたはある日、こんなことを問いかけられる。

「本当は何を探しているの?」

 そこであなたは自分の心にもう一度聞いてみる。

「自分は本当は何を探しているのか?」

すると、自分がそれまで知らず知らずのうちに抱いてきたさまざまな偏見や固定観念が見えてくる。

 まず、そんな安くて広い土地は、都心では探しようがないことを自分は知っているのにもかかわらず、あえて「なるべく都心に近いところ」という条件を自分に課していたことにあなたは気づく。そしてそれは、たいして好きでもない現在の仕事をあっさり辞めて田舎暮らしをする勇気が持てない自分が勝手に作り出した固定観念であることにも気づく。

 

 次にあなたはこう自問してみる。

「自分が探しているものは、どこへ行けば見つかるのか?」

 すると、自分が探している場所は都心では探すのが困難だとしても、目先を変えて田舎なら簡単に探せるかもしれないという考えが浮かんでくる。

 そのとたん、自分が本当に求めているものは、広い土地でも大きな家でもなく、雄大な自然にかこまれた安らかで快適な住環境であることにも気づき、そしてそれはほかならぬ、ストレスで身を持ち崩しかけている自分が発している警告でもあることに気づくのである。

 

 この話をまとめれば、「本当は、都心にはないとわかっている物件を、物件はないけれども情報はあって探しやすい場所で探している」ということになる。これはまさに冒頭に挙げた笑い話そのものだ。

 ここで、「都会=文明=明るみ」「田舎=自然=暗がり」と置き換えることも可能だろう。そしてまさに「目先を変える」(つまり探し場所を変える)という作業によって、物件を探しやすくする以上の発見をしたことにもなる。