■遺書



 「遺書」とは何だろう。

 ある人物が、自分の死を意識して、身近な人間に宛てて書いた究極のメッセージ・・・?

「誰が誰に宛てて?」

「その人はいくつぐらい?」

「その人はどんな原因で死のうとしているのか?」

「その人は自分の死期をどのように悟ったのか?」

「自分の死期を悟ったその人の目には、人生はどう映るのか?」

「その人がある特定の人物を選んだ理由は?」

「その人は、自分の選んだ人物に何を伝えようとしているのか?」

 次々と疑問がわいてくる。

 いずれにしろ、もう先はないというギリギリの状況で人が何かを書き残そうとするときは、きれいごとや嘘偽りの入り込む余地などまったくないだろう。そこに書き記されるのは、真実以外の何ものでもないはずだ。

 遺書を書くことは自分がいなくなった後の世界に想像力を働かせる作業だ。これらの疑問をすべて呑み込むようにして誰かが特定の人物に宛てて遺書を書き残すとしたら、それはもはや特定の人物へのメッセージというよりは、遺されたすべての人へのメッセージという性格を帯びてくるに違いない。

 

 

「七〇歳の祖父が一一年後に二十歳になる私に宛てた遺書」

 

 二十歳の誕生日に、私は母から一通の封書を手渡された。私が九歳のときに癌で他界した祖父が、その死の間際、私が二十歳になったら渡してほしいと、「他言無用」の言葉とともに母に託したものだという。封筒の黄ばみ具合からも、一一年の時の流れが感じられた。封筒の表には私の名前が、そして裏には祖父の名前が確かに書き記されている。内容は母も知らないという。

 開封すると、たよりない乱れた筆跡が私の目に飛び込んできた。祖父が臨終の床で最後の力を振り絞るようにして書いたことがうかがわれる。

 

「○○君。君がこの手紙を受け取る頃、私はもうこの世にはいない。君が二十歳になるまで開封せず、誰にも渡さないという約束で、君が九歳のとき、私はこの手紙を書き、君の母親に託すことにした。

 私がなぜそのような手の込んだ真似をしたのか、それには理由がある。今から私が君に書き残すことは、九歳の少年である今現在の君に大いに関係のあることでありながら、おそらくは、ある程度大人にならなければ理解できないだろうと思われたからだ。そのことを、私はまだ筆を握る力の残っているうちに、是非とも君に書き残しておきたかったのだ。

 私が君に書き残したかったことは次の二つである。

<その一>

 君の口から、君の父親、つまりわが息子に伝えてほしいことがある。それは一言、私を許してほしいということだ。私は君の父親にとって、決していい父親ではなかったと思う。もちろん私は私なりに息子のことを想い、できる限りのことはしてきたつもりだ。しかし、私自身、自分の父親の影から完全には自分自身を解き放つことができず、その分、息子にずいぶんつらくあたってしまったと思う。だから、そのあたりを汲み取って、どうか出来の悪い父親を許してほしいと息子に伝えてほしい。

<その二>

 君にもうひとつ頼みがある。それは君に是非、君の父親、つまり私の息子を許してやってほしいということだ。息子も自分なりに君のことを想い、いい父親になろうと努力してきたと思う。しかし、もし彼が私の悪い影響から抜け出せずに、今だに悩み、もがき、苦しんでいるとすれば、そのしわ寄せはすべて君の方に及んでいるに違いない。だから頼む、どうか私の息子を許してやってくれ。そして彼を受け入れ、私が自分の父親や自分の息子にしてやれなかったことを、彼にしてやってほしい。」

 

 私がこの祖父からの手紙の内容を父に話すことは、おそらく生涯ないだろう。それが、祖父の遺言を破ることになるのかどうか、今の私にはわからない。しかし、なぜかそれ以来、私と父との関係が少しずつ変わっていったように思う。それは父に対する私の態度が変わったからか、それとも私に対する父の態度が変わったからか、それもよくわからない。


  →学生のためのマスコミ文章道場・総評TOP