「浜に打ち上げられたイルカ」


 少年は海のそばに住んでいました。少年は体が小さく、学校の友だちにいつも「チビ、チビ」といわれていました。少年はくやしくてくやしくて仕方がありませんでしたが、ただじっとがまんしていました。そんなとき少年はいつも家のそばの海岸にひとりで出かけ、海をながめるのでした。

 ある日のことです。その日も少年は友だちにからかわれて、ひとりで海に出かけました。すると、遠くの砂浜に、何か黒い大きな岩のようなものがあるのに気づきました。少年はその砂浜に何度も来ていて、どこにどんな岩があるのかちゃんと知っていました。ところがその岩は初めて見るものでした。少年は不思議に思ってその岩に近づいてみました。するとどうでしょう。岩に見えたものは、イルカだったのです。でも、ふだん海の中にいるはずのイルカが、なぜ砂浜に横たわっているのだろう、と少年は思いました。

 そのとき少年は、いつか大人たちが、このあたりの海岸にイルカが何頭も打ち上げられて死んでいたという話をしていたのを思い出しました。イルカは人間と同じように空気を吸って生きているので、陸の上で息はできますが、体が乾くと死んでしまうのだということを、少年は知っていました。少年は目の前に横たわっているイルカをよく見てみました。イルカは三頭いました。大きいのと、中くらいのと、小さいのです。お父さんとお母さんと子どものイルカだな、と少年は思いました。イルカはいつも家族で行動しているということを、少年は何かの本で読んで知っていたのです。三頭とも、もうだいぶ体が乾いていました。きっともう死んでしまっているのだろう、と少年は思いました。

 そのときです、子どもイルカがピクッと体をよじらせました。少年はビックリして、後ずさりしました。すると、その子どもイルカの動きにこたえるように、お母さんイルカとお父さんイルカも順番に体をピクッとふるわせました。まだ生きているんだ、大変だ、すぐに助けなくちゃ。少年はそう思って辺りを見回しましたが、砂浜にはだれもいません。少年は、こうなったら自分で助けるしかないと思い、あわてて子どもイルカの尾ヒレをつかみ、波打ち際まで引きずっていこうとしました。ところが、子どもイルカとはいえ、少年と同じくらいの大きさで、重くてなかなか引きずれません。すると子どもイルカが、少年の手の動きに合わせるようにして体をよじらせ始めました。イルカも頑張ろうとしているんだと思い、少年の手にも力が入りました。それで勢いがついて、何とか波打ち際まで運ぶことができました。子どもイルカは海の水に体を半分ひたすと、少し元気が出たようで、体をさらにくねらせ、静かに水の中に消えていきました。

 少年はすぐに引き返して、今度はお母さんイルカの尾ヒレをつかんで引きずろうとしました。ところがお母さんイルカは重くてとても少年の力では動かせそうにありません。ああ、早くしないとイルカが死んでしまう。あせればあせるほど、手に力が入りません。子どもイルカのようにお母さんイルカも自分で少し体を動かしてくれればな、と少年は思いました。でもお母さんイルカはピクリともしません。ぼくみたいなチビが、こんな大きなイルカを運べっこないよ。少年の耳に「チビ、チビ」とはやし立てる友だちの声が聞こえてきました。少年は自分が情けなくて涙が出そうになりました。そのときです、お母さんイルカが最後の力をふり絞るようにして、体を大きくくねらせました。少年はそれに勇気づけられて、一気にお母さんイルカを引きずりました。自分がこんな大きなイルカを運べるなんて、とても信じられない気持ちでした。ああ、自分は今、死にかけているイルカを必死で助けようとしているんだ、そんな大それたことが自分にできるなんて、そう思うと少年の全身に急に大きな力がわいてきました。お母さんイルカもそれにこたえるように身をよじらせ、その勢いで何とか水の中にすべり込んでいきました。

 さあ、残るはお父さんイルカです。少年は急いで引き返して、お父さんイルカの尾ヒレをつかみ、力いっぱい引っぱりました。ところが、お母さんイルカよりもさらに大きいお父さんイルカはビクともしません。しかもお父さんイルカの体はもうすっかり乾いてしまっているようです。少年も、二頭のイルカを運ぶので力を使い果たしてしまったようで、全然力が入りません。ああ、もう一頭なのに、もうあとはお父さんイルカさえ運べれば、三頭とも助けられるのに。でも、もうダメだ。少年はとうとうその場にへたり込んでしまいました。少年の目から涙がこぼれてきました。

 そのときです、海の方でバシャンという音がしました。少年がふり返ると、さっき助けた子どもイルカが高々とジャンプしているのが見えました。もうすっかり元気をとり戻したようで、勢いよく何度もジャンプをくり返しています。少年には、子どもイルカが助けてもらったお礼をいっているように思えました。その姿を見せたくて、少年はお父さんイルカの方を見ました。するとお父さんイルカは、子どもイルカのジャンプを追うように一度目を動かし、ゆっくりとその目を閉じました。そして再び目を開けることはしませんでした。少年は最後の力をふり絞って立ち上がり、汗と涙でグショグショになりながら、ジャンプする子どもイルカに向かって高々と両手を差し上げました。