■エピローグ
アルチュール・ランボオは、16歳で詩を書き始め、20歳で書くのをやめた。
ポール・ヴァレリーは、毎朝世間がまだ眠っている頃、一人起き出してコーヒーをいれながらノートに思索の跡を記した。それが膨大な「カイエ」となった。
ブレーズ・パスカルは、病によって自慢の記憶力にかげりが見え始めたとき、「キリスト教の弁証論」を書くためのメモをとり始めた。しかしその著作はついに完成を見ず、膨大なメモだけが残された。それを編纂したものが後に「パンセ」と呼ばれるようになった。
マルセル・プルーストは、両親の死後、防音のためのコルクを張りつめた部屋に、喘息の発作を抑えるための蒸気を立ちこめて篭もり、図書館に調べものに行く以外はほとんど外出せず、昼間寝て、夜起きて、大著「失われた時を求めて」を書き上げた。
フランツ・カフカにとって書くこととは、ペンで紙を引っかくことを意味していた。
ジャン=ポール・サルトルは、晩年殆ど失明状態となり、ペンのインクが切れたのにも気づかず、ペンで紙を引っかき続け、ボーヴォワールに注意されたという。
アンドレ・ブルトンは、『シュールレアリスム宣言集』(現代思潮社刊)の中で、次のように述べている。
「シュールレアリスム的魔術の秘訣
〜シュールレアリスム的作文法、あるいは下書きにして仕上げ
諸君の精神を自己集中するのに可能なかぎり都合のよい場所に身を落ち着けた後に、書く道具を持ってこさせたまえ。できるかぎり受動的ないしは受容的な状態に自分を置きたまえ。自分の天分とか、才能とかいったものを念頭から取り去りたまえ。文学などというものは、われわれをどこへ連れてゆくかわからない甚だなさけない道のひとつであるということを十分に心得ておきたまえ。あらかじめ考えられた主題なしに、ずばやく書きたまえ。思い返したり、読みなおしたいという気が起きたりしないほど、すばやく書くのだ。...」
一九八〇年十二月一〇日の日記に、私は次のように走り書きしている。当時私は、ちょうど現在のあなたと同じくらいの歳だった。
〜基本テキスト〜