日本人の目覚め方・・インドの貧困に触れて・・

 1994年の夏、小笠原に行って野生のイルカと泳いだ。

南国の太陽、紺碧の空、透き通った珊瑚礁の海、白い砂浜、鳥は鳴き、花は咲き乱れ・・それは正にパラダイス体験だった。身も心もリフレッシュし、都内に戻ったとき、周りの人間がみな病んでいるように見えた。

 その年の12月、インドを旅した。それも大都市のスラム街や貧しい農村部などを選んでの旅だ。それは正にこの世の地獄だった。

 都市部では、排気ガスによる猛烈な大気汚染に悩まされながら、家もなく路上で生活し、カラスや犬や牛とともに生ゴミの山に首を突っ込んで食べ物を漁る人がいる。

 スラム街では、路上の糞を裸足で踏み、その足を手で拭い、その手を汚水で洗い、その手で飯を炊くという生活だ。





 農村部では毎日片道三キロ以上も歩かないと飲み水が手に入らない人達がいた。その日一日、何とか死なずに生き延びること、それが彼らの最大の望みだという。

 女の子にはもっと過酷な運命が待ちかまえている。インドでは、女の子の八割が八歳から十四歳の間に結婚するというのだが、その嫁入りの際、ダウリーという風習がある。日本でいう持参金あるいは嫁入り道具のようなもので、まだ幼い少女は、持てるもののすべてを持って嫁がなければならない。そこでインドの家庭では、女子の誕生を喜ばない気風があり、生まれてすぐに殺してしまう親さえいるという。うまく生き長らえて嫁いでも、ダウリーの内容が気に入られないと夫に殺されることもある。夫はその後、ダウリー目当てに再婚するという。(※インド政府は、「ダウリー」の風習はすでに過去のものになっていると公式発表しているようだが、実態はどうだろう)

 そんな極限状況の中でさえ、なぜか人々はみなまばゆいばかりに輝いて見えた。特に、地元のNGOが主催する非公式の学校に通い、学ぶことの歓びに目覚めた子供達と、それを束ねるインストラクター達(特に女性)の目の輝きには、同行のメンバー全員がすっかり魅了されて帰ってきた。なぜ彼らはあれほどまでに輝いて見えるのか。彼らを突き動かすものはいったい何なのか。

 カルカッタを案内してくれたあるNGOのメンバーに聞いてみると、一言「dedication(献身)」という答えが返ってきた。何と美しい言葉かと思った。

 二十世紀から二十一世紀へ、新しい世紀を迎えた現在は、世紀始であると同時に三千年期の始まりでもある。千年に一度の歴史の大きな節目に、人々は無意識のうちに何かを締めくくり、何かを新しく始めようとする。それが人間の営みの持つ力学に違いない。

 彼らの目の輝きは、その全人類的規模の力学に気づいている証拠のような気がした。彼らの眼差しには少しずつマザーテレサの、ガンジーの、そしてブッダの精神が宿っているように思えた。今まではメシアと呼ばれる人達が現れて末世を救った。今度は、すべての人達が少しずつメシアとして目覚める番かもしれない。しかし残念ながら、インドから戻ったとき、日本人はみな(自分も含めて)目が死んでいるように見えた。

 小笠原とインドの旅によって、私はこの世の楽園と生き地獄の両方を見たことになる。理由は異なるにせよ、どちらも命の輝きに満ちた世界だった。大部分の日本人はそのどちらの世界にも属していないように思える。

 「国際協力の場において、日本はお金は流すが汗は流さない」という批判をよく耳にする。もちろんお金より汗を流す方が尊い。しかし、お金も流し方次第だということをインドの旅で学んだ。お金の有効な使い途を一番よく知っているのは政府ではなく地元のNGOだろう。日本人が目覚める第一歩は、とりあえず、何をどう流すかではなく、誰にどう流すかを見極めることかもしれない。