コラム
 
ここに紹介するコラムは、1996年から1998年にかけ、ある団体の求めに応じて、会員向けの挨拶状のために書いたものである。
 しかし、実際に採用されたものは、ほんの一つか二つだった。どのような基準で選ばれたのかはわからない。その判断の正否は、このホームページの読者諸氏に委ねたい。


 ある看護婦養成学校の入学試験でのお話。
 看護婦の「看」という字を分解すると「手」と「目」に分かれます。そこで作文試験に次のようなテーマが出されました。
「あなたが手で行う最良の行為は?」
 この難問に対し、関係者全員を唸らせる見事な答えを返した学生が一人だけいたそうです。彼女は「祈ること」と答えたのです。
 普段から祈る習慣を持っている人でなければ、なかなかこのような答えは出てこないでしょう。もちろん彼女は文句なく合格しました。
 ある目的に向かって人事を尽くし、それでもまだ何かやり足りないと感じるとき、最後の手段として人は祈るのかもしれません。そういう意味では、祈りとは究極のパフォーマンスと言えないでしょうか。
 そのように常に自分を高め、物事を追求している人は、おそらくその努力が輝きとなって表情や態度に表れるに違いありません。そしてその輝きはきっと周りの人をも自然に輝かせるでしょう。祈りが天に通じ、人を動かすとはそういうことなのかもしれません。



 アメリカの小学校でこんな実験が行われました。
 それぞれ新しく担任になる教師たちに、各クラス数人の名前を挙げて、
「事前の学力テストの結果、この子たちはずば抜けた成績で、今後も目ざましく伸びる可能性がある」
と伝えました。しかし、これらの子はまったく無作為に選ばれた子で、成績優秀でも特別伸びる可能性があるわけでもなかったのです。
 ところが学年末にもう一度テストをしてみると、教師たちに伝えられた通りの結果が出てしまいました。つまり、教師たちの期待が言葉や態度や接し方に現れ、子供たちがその期待に応えたことになります。これを専門的には「ピグマリオン効果」といいます。
 たとえば、ある二人の子が同じ誤りをしたとします。片方の子は名前を挙げられた子で、もう一方は普通の子だったとすると、教師は前者に対しては「たまたま調子が悪かっただけだろう」と慰め励まし、後者に対しては「この子なら仕方がない」という態度になるに違いありません。教師の態度をモデルとして子供たちは自己の意識を形成するのです。
 さて、あなたは何をモデルにどのようなピグマリオン効果を自分にかけていますか?



 フランスで、こんな題の本が出版されました。
「男が女について知っているすべてのこと」
 著者はジャン・セリアンなる人物。興味津々でページを開いてみると、厚さ2.5センチもあるその本のどのページも真っ白で、何も書かれていないのです。どうやら「男は女について何も知らない」というのが著者の主張のようです。まさにフランス式エスプリです。
 その本の裏表紙に、次のような解説が載っていました。
「人間とは何かを探る彼の試みは、たびたびそのとば口で立ち往生した。
 ジャン・セリアンは、微笑みを誘わずにはおかないこの大胆な著作にその生涯を捧げた。しかし、それは忍耐強く取り組むべき、途方もない解明作業のほんの始まりにすぎなかった。とうてい真似のできない、おそろしく簡潔な文体を駆使し、著者は私たちにこの探求の扉を開いてくれた。私たちはそこに何を見い出すのだろう...」
 この本をある新婚カップルにプレゼントしたところ、大爆笑の後、旦那さん曰く「私は一生かけてこの本のページを自分で埋めることにします。そうすれば私が世界で初めて女性のすべてについて語る男になるわけですね」



 今をときめくエコロジストのライアル・ワトソン博士が来日シンポジウムでこんな話をしていました。
 当時、ガラス張りの水槽でイルカを飼って研究していた博士のもとに、ある日、一人のジャーナリストが取材に来ました。
イルカには知性があるという博士の主張に懐疑的なジャーナリスト先生が、水槽の横でパイプをくゆらしながらインタビューを始めると、好奇心にかられた赤ちゃんイルカがガラスごしに近づいてきました。
 それに気づいたジャーナリスト先生は、からかい半分に赤ちゃんイルカめがけ、パイプの煙をプーッと吹きかけたのです。驚いたのは赤ちゃんイルカです。おそらく白い煙など生まれて初めて見たのでしょう。一瞬たじろいだかと思うと、クルッときびすを翻してお母さんイルカの方へ行ってしまいました。ジャーナリスト先生はしたり顔。
 ところが赤ちゃんイルカはすぐに引き返してきて、ジャーナリスト先生めがけ、白い煙をプーッと吹きかけたのです。もちろん赤ちゃんイルカがパイプもタバコも吸うはずがありません。それはお母さんイルカのオッパイだったのです。
 「想像力とは人間固有の能力だ」と言ってはばからない学者諸子に聞かせてやりたい話です。



 国連職員の間でこんなジョークがささやかれているそうです。
国連の途上国支援の担当職員が、ある発展途上国を視察に出かけました。すると昼の日中にいい若い者が仕事もせずに外でゴロゴロしているのです。
 見かねた職員が声をかけました。
「君君、いい若い者がそういうことだから国が発展しないのだよ。少しは働いたらどうかね」
するとその若者曰く
「働いたらどうなるの?」
「働いたら少しはお金が入るでしょ」と職員。
「お金が入ったらどうなるの?」と若者。
「お金が入ったら少しは生活が豊かになるでしょ」
「生活が豊かになったらどうなるの?」
「生活が豊かになれば、少しはゆとりが出るでしょ」
「ゆとりが出たらどうなるの?」
「ゆとりが出れば、少しは休めるでしょ」
すると若者曰く
「オレはさっきから休んでるよ」
 さて、あなたはこのジョーク、笑えますか?
 本当の豊かさとは何なのか、考えさせられる話です。



 高木善之さんという人がいます。
 某大手電器メーカーの管理職なのですが、出社は年に数回。普段何をしているかといえば、「地球村」というネットワーク活動を通して環境問題に取り組み、年間300回以上の講演活動をしています。
 睡眠時間3時間、食事は一日一食、風呂は2〜3日に一度、トイレは大小合わせて一日1〜2回。まさに歩く省エネです。
「自分は父親として子供に財産を残してやれないが、地球を残してやりたい」と頑張っています。
 高木さんは15年前、交通事故で瀕死の重症を負い、意識不明の中で臨死体験をし、ついでに光の世界から未来の地球の記憶を持ち帰って目覚めたかと思うと、その瞬間から回復し始め、今では何の後遺症もないという不思議な体験の持ち主です。
 そんな高木さんが、講演でこんな話をしていました。
『ドイツ人を説得するには理詰めで迫るのがいい。イギリス人を説得するには「紳士・淑女ならこうしてますよ」と言うのがいい。フランス人を説得するなら、エスプリを交えて話すのがいい。日本人を説得するなら「お隣さんはすでにこうしてますよ」と言うのがいい』
 日本人の精神性を見事に言い当てていると思いませんか?



 アメリカン・ジョークにこんなのがあります。
 ジョンが道を歩いていると、トムが地面に這いつくばって何か探し物をしています。
「何をなくしたんだい、トム」
「家の鍵だよ」
 そこでジョンも探すのを手伝い始めます。
 しばらくしてジョンが聞きます。
「見当たらないようだけど、本当にここで落としたのかい?」
「本当は家の中だよ」
「じゃあ、なぜこんなところを探してるんだい?」
「家の中よりここの方が明るいんでね」
 このジョーク、あなたは素直に笑えますか。
 人生は幸福の扉を開ける鍵を探す旅のようなものではないでしょうか。
 あなたは今、どこでどんな鍵を探していますか。
 明るい外を「昼」「表通り」と考え、暗い家の中を「夜」「裏通り」と考えるなら、そんなところには鍵はないとわかっていながら、昼間の明るい表通りばかりを探してしまうのが人の世の常ではないでしょうか。
 そこで、少々冒険しても暗がりを探してみて、これだと思う鍵が見つかったら、それを明るみに持ってきて確かめてみるという手もあります。そうすれば異なる二つの領域が統合され、まったく新しい幸福の扉が開かれるかもしれません。



 興味深い実験があります。
 子ネコを、生後二〜三週間の発育上最も大切な時期に、タテ縞模様の壁の部屋だけで過ごさせると、そのネコは成長してからもタテ縞的性質の物体しか目に入らず、椅子の脚はよけられても、水平のはしご段には正面衝突してしまうというのです。
 情報が極端に制限され整理された環境で育つと、脳ミソはある一定の情報処理能力しか発達させず、バランス感覚を失い、極めて偏ったものになってしまうということでしょう。目には映っていても、脳ミソが情報処理していないという状態です。
 さて、都会育ちのAさんと田舎育ちのBさんが山歩きをしたとします。Aさんは「空気がおいしいなあ」とか「自然っていいなあ」とか言ってただウットリしています。
 Bさんは面白い木ノ実や草花などをすぐに見つけてAさんに示します。Bさんは自然という対象物に対して脳ミソの密度が濃く、その細部までハッキリ見えるのでしょう。
 反対にAさんの目には自然という対象物がただボンヤリと映っているだけなのでしょう。
 どちらの頭がいいということではなく、脳ミソの耕し方の問題です。
 さて、整理され単純化されすぎた都会の環境と、混沌とし雑然とした自然の中、あなたはどちらで脳ミソを耕しますか。



 ルイーズ・L・ヘイという人の人生は信じ難いものです。
 生後間もなく両親が離婚。5歳のときに変質者にレイプされ、おまけに継父から肉体的・精神的・性的虐待を受けて育ちます。
15歳のときについに家出、16歳で妊娠・出産、子供とは生き別れ。その後、英国紳士と結婚するも、14年後、夫の浮気がもとで離婚。
 そして最後にはガンの宣告を受けます。
 しかしそこから彼女の第二の人生が始まりました。
 当時教会のプラクティック療法師をしていた彼女は、手術を拒否し、徹底した精神療法と食事療法を行い、半年後ガンは跡形もなく消えていたといいます。
 男性から虐待を受けたのも、ガンになったのも、自分にそうしたものを引きつける「思考パターン」があったからで、その思考パターンを変えさえすれば、そういうものとは無縁な人生を送れると彼女は言います。
 自分の人生に100%責任を持つとはどういうことか考えさせられます。
 彼女の著書は全米ベストセラーとなり、彼女は今、カリフォルニアでセラピストとして活躍しているそうです。
          参考:「ライフ・ヒーリング」ルイーズ・L・ヘイ著(たま出版)


 とっておきのフレンチ・ジョークをひとつ。
 ある船が難破し、船長以下、乗組員は命からがら無人島とおぼしき島に流れ着きました。
 とりあえず水と食糧を確保すべく、彼らは深いジャングルの中に分け入りました。
 しばらく進むとジャングルが途絶え、広々とした草原が目前に現れました。
 その草原の彼方、小高い丘の上をふと見ると、煙が立ち昇っています。
 近づいてみると、仙人然とした白髪の老人が杖を片手に岩に腰を下ろし、何やら物思いに耽った様子で焚火にあたっているではありませんか。
 そこで船長が老人に訊ねました。
「あなたはここで何をしているんですか」
 老人が答えました。
「わしはな、あることを忘れるためにこの島へやって来たのじゃ」
 船長が聞き返しました。
「で、そのあることとは?」
 すると、老人の答えて曰く。
「うーむ、それが思い出せんのじゃ」



 こんな話があります。
 ある週末、老夫婦が久しぶりに息子夫婦の家を訪問しました。
 天気もいいのでドライブにでも行こうかという息子の提案に全員賛成し、さっそく出かけたものの、途中大渋滞に巻き込まれ、やっとの思いで目的地に到着すると、今度は大雨。
 観光もそこそこに家路につくと、またまた大渋滞。家に戻ったときには全員へとへとに疲れ切っていました。
 そこで、老婦人がポツリと一言。
 何も無理してドライブに行く必要はなかったのに。実は自分は今日一日家で読書でもしながらゆっくり過ごしたかったのだ。でも息子がドライブに行くというのでしかたなくつき合ったのだ。
 すると息子も、
久しぶりに訪ねてきた両親への孝行のつもりでドライブを提案しただけで、実は自分も今日はテレビで野球中継でも観ながら過ごしたかったのだ、
と告白しました。
 すると老紳士も若奥様も、本当は出かけたいとは思わなかったと言うのです。
 こうして四人はお互いに顔を見合わせて笑い合ったのでした。
 さて、あなたはこの話からどんな教訓を得ますか?



 「クレーマー・クレーマー」という映画があります。
 離婚した夫婦の間に、子供の養育権をめぐる裁判が起こります。
 夫側の弁護人が妻に、
「今までで一番長続きした人間関係は?」
と尋問します。
 妻が、夫との関係だと答えると、
「その人間関係にもあなたは失敗したのか」
と厳しく詰め寄り、YesかNoの答えを迫ります。
 一方、妻側の弁護人は夫に
「仕事の約束をすっぽかして、大事な契約を棒にふったか」
と尋問し、夫が
「その日は子供が熱を出して……」
と言い訳しようとしても聞き入れず、あくまでYesかNoで答えるよう迫ります。
 いわゆる「誘導尋問」というやつです。つまり、こちらにとって都合のいい答えをいかに相手から引き出すかというテクニックです。
 逆に、相手から本音を引き出したければ、一般に5W1H(いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのように)の質問が有効です。つまり相手がYesかNoでは答えられない質問の仕方です。
 さて、あなたはどちらのテクニックを使いますか?




 妊産婦の教育やカウンセリングに携わり、国内外の出産事情に精通しているあるジャーナリストが、こんな話をしていました。
 夫も妻も現役の医者をしているある夫婦が、自分たちの出産に臨み、考えられる限りのあらゆるトラブルを想定し、その対処策を講じてその日を迎えたところ、自分たちが想い描いた通りのあらゆるトラブルが発生してしまったというのです。
 一方、同じ時期に16歳の少女が出産したのですが、こちらはまったく何も考えずに、周りがヤキモキするほど気楽に構えていたところ、見事な安産だったということです。
「案ずるより産むがやすし」とはよく言ったものです。
 「プラシーボ(偽薬)」というのをご存じでしょうか。本来は薬の本当の効果を試すのに使われるものですが、医学的な薬効はないはずのそれを投与された患者さんが治ってしまったという例があります。一種の自己暗示効果でしょうか。
 人間の心と体の関係というのはまだまだ奥が深いようです。




 コンピュータのハードウェア会社のA社とソフトウェア会社のB社が取り引きをしました。
 A社は自社で必要なソフトウェアの開発をB社に依頼し、B社は自社で必要なハードウェアの製造をA社に依頼しました。
 すると偶然にもお互いの請求額がピッタリ一致したのです。そこで両社はお金のやりとりをしないことに決めました。つまり両社ともお金を介在させずに労働の代価としてほしいものを手にいれたことになります。
 金融機関の相次ぐ不祥事やブラックマンデーの予感が世を騒がせている中、貨幣経済や市場経済に代わるまったく新しい経済の可能性を示唆するエピソードではないでしょうか。



 こんな実験があります。
 被験者に催眠術をかけ、かなり深い催眠状態に入ったところで
「あなたの腕に熱湯がかかった」
と語りかけたところ、被験者はパニック状態に陥りました。
 ここまでは普通のことかもしれませんが、驚いたことには、被験者の腕に、くっきりと火傷の傷が現れたというのです。
 また、残酷な話ですが、死刑囚に目隠しをして頚動脈を切ったように思わせ、実際には首からぬるま湯を少しづつ垂らして死に至らしめたという話もあるそうです。
 潜在意識の成せる業と言ってしまえば簡単ですが、生体内である種の原子転換(ある元素が別の元素に変わること)が起こっていると説く科学者もいます。
 実際に、米軍物理技術研究所では1978年に、生体内では、細胞レベルで原子転換が起こっている可能性が高いという結論が出されているそうです。
 かつて練金術師たちが夢見た「無から有を生じる」という技術は、21世紀には生体という触媒を通して可能になるのかもしれません。



 米海軍が艦隊を組み、悪天候の中で軍事演習中のことです。
 日も暮れて視界がさらに悪くなった頃、ブリッジの見張りが、進路前方に光を発見し、艦長に報告しました。光は停止しているものの、このままでは衝突の危険があります。
 艦長は信号手に命じ、相手の船に20度進路を変更させようとしました。
 すると相手から返事が返ってきました。
「そちらの方こそ20度進路を変更せよ」
 艦長は再び信号の発信を命じました。
「こちらは艦長だ。進路を変更せよ」
 すると、また返信がありました。
「こちらは二等航海士だ。そちらこそ進路を変更せよ」
 艦長は怒りをあらわに命じました。
「こちらは戦艦だ。20度進路を変えよ」
 それに対する返答はこうでした。
「こちらは灯台である」
 戦艦は進路を変えました。